ヴィパッサナー瞑想10日間コース@千葉 体験記〜2017年3月〜

 

 

 

 

つい先日まで、私はとある変わった修行合宿に参加していた。

私の記憶からその時に得た体験が薄れていってしまわないように今日はその時の体験についてここに書き残しておこうと思う。特にこれまたメッセージ性などは無い文章なので、暇つぶしがてら読んでいてほしい。

 

 

 

 

ヴィパッサナー瞑想10日間合宿コース

 

皆さんの中に、ヴィパッサナー瞑想という瞑想法を知っている人がどれだけいるだろうか。”知っている”とまでは言わずとも、聞いた事がある人ならきっとよく東南アジアやインドに旅行するのが好きな人、またはヨガが好きな人は少しとばかりいるであろう。

かくいう私も、初めてヴィパッサナー瞑想を知ったのは高校卒業してすぐの一年間、海外を放浪していたときだ。その時は、よくヴィパッサナー瞑想が何なのかよくわからなかったが、とにかく行った方がいいと強くお勧めされた。「何をするの?」と聞くと、

「10日間、人と話さず、目を合わせる事も無く、文字の読み書きや、音楽を聴いたりする事も無く、ただ食事と睡眠の時間以外は瞑想をする。」

と返ってきた。

 

それは、限りなくクレイジーな体験であろう。今まで生まれて言葉を発するようになってから10日間、一言も人と会話する事無く過ごした事など無い。ましてや、目を合わせたり

読んだり見たりすることもないなんて一度もないだろう。常人なら、頭がおかしくなるんじゃないだろうか。そう思った。

しかし、今までこのヴィパッサナー瞑想をしてきたという人に何人も会ってきて、

「やって本当によかった。人生が変わった。」という人にも何人も会った。決まってそういった人達は本当に面白い人生を歩んでいる人が多かった。それだけでも、私の心をわくわくさせるのには充分だった。

 

ヴィパッサナー瞑想の真髄

 

”ヴィパッサナー (Vipassana) は、物事をありのままに見る、という意味です。インドの最も古い瞑想法のひとつで、2500 年以上前にゴーダマ・ブッダによって再発見され、普遍的な問題を解決する普遍的な治療法、 生きる技として、多くの人に伝えられました。 宗教とはかかわりをもたないこの技は、あらゆる心の汚濁を取り除き、解脱という究極の幸福を目指しています。”

日本ヴィパッサナー協会HP 『ヴィパッサナー瞑想とは』より引用ー

 

これだけ読んでも、正直よくわからないだろう。なので、少しずつ簡単に私なりでのヴィパッサナー瞑想についての解釈をここで説明しようと思う。

 

 

瞑想というのは、それぞれで方法や目的が違う。精神統一であったり覚醒であったりその種類は様々だ。そしてこのヴィパッサナー瞑想を通して目指す最終目標とは。

そう、それはこの上記に抜粋した文章にもあるように”解脱”である。

冗談でもなんでもなく、この”解脱”は正しい修行をする事によって誰しもが到達出来るものであり、そしてそのための”正しい修行法”こそが”ヴィパッサナー瞑想”なのである。

 

もちろん、この10日間で”解脱”に至る事など出来ない。10日間コースというのはあくまでこの瞑想法を正しく理解・実践・継続させる為のものであり、その第一歩といえるだろう。けれどそれは大きな一歩になり得る非常に価値のあるものだろう。

 

仏陀の解く世界

 

仏陀は、この世の中には渇望・嫌悪・怒り・悲しみで満ちているという。

起きてほしいことが起きず、起きてほしくないことばかり起り続ける。自分がどんなに祈っても、苦しいことは人生で起り続ける。

では、その苦しみはなぜ消えないのか、いったいどこからやってくるのか探し始めた。

ゴータマ氏は28歳の時に出家をし、幾人もの賢者たちにその真理を探し出す為に教えを請いた。7年もの年月をかけ、ありとあらゆる修行をしそしてある日大きな木の下に座り彼はある決意をする。「自分はこの真理を見つけ出すまで、絶対にここから動かない。」これがのちの菩提樹と呼ばれる木で、ゴータマシッダールタが完全なる悟りを遂げ仏陀となられた場所である。

そうして完全なる悟りを得、仏陀となった彼ははこう言った。

 

世の中は全て、5つのプロセスからできている。それは体でおこるプロセス1つと、心で起きるプロセス4つに分けられる。まず体の中で起っているプロセス。それは、この世の全ての物質は、原子よりも小さな微粒子が集まってできていると。この微粒子はよく観察すると1秒間に何兆回ものスピードで生成と消滅を繰り返している。」

 

ここから、世の中とは無常である、常に変わり続けていくものだと解いた。そして次にこう続けた。

 

「次に4つの心のプロセス。それは、私たちが人や物事に嫌悪感などを抱く時必ず、意識→知覚→感覚→反応というプロセスを経る。」

 

これは少し例をあげて説明しよう。

  

【例】A君が僕に「デブ!」と罵りそこに腹を立てた私が「黙れガリ!」と罵り返す場合

 

A君:「デブ!」

(私の心の中)

意識:「おや、誰か私になんか言ったぞ。」

知覚:「あ、A君が私にデブと言ったな。」

感覚:「私はデブなんかじゃない!くそう、腹が立ってきた。」

反応:「ようし、私も何か言い返してやろう。」

(現実)

「黙れガリ!」

 

そう、私がA君に悪口を言われてから、私がそれに悪口を言い返すまでに実は心の中ではこのような過程を経ているというのです。そして仏陀は、この4つのプロセスのうち

最初の3つは潜在的意識なのでコントロール出来ないが、最後のこの”反応”というプロセスは修行によって止める事ができると言っているのだそう。

 

なぜなら、全てのものは無常(変わりいく)だから。

 

そして、その止める方法を仏陀「観察する」ということであるといっています。

ただひたすらに、怒りや嫌悪という感情がこみ上げたときにそれに反応するのではなく「観察」することによって、やがてそれが消えてゆくのを待つ。しかしその為には

「怒り」の感情が感覚として浮かび上がった時に気づくことが重要で、その為に意識を体の全体に集中させ、そして気づいた時には反応・反発するのではなく

ただただ冷静に「観察」し、それが消え去っていくのを待つのだという。

 

 

どうだろうか。なんとなく仏陀の言わんとしている事がわかってきた気がしなくもない。それでは次にここでその瞑想法の実践方法を紹介したい。

 

 

 

ヴィパッサナー瞑想の実践

 

まず、この合宿が始まる時、一日目からヴィパッサナー瞑想をするのではない。

まず最初の3日間は「アーナパーナ瞑想」というものから始める。その実践方法とは、

  • 目を閉じる
  • 沈黙を保つ
  • 座禅を組む
  • 鼻呼吸をする。
  • 呼吸を”観察”する
  • 観察する範囲を決める(上唇を底辺とし鼻の上を頂点とする三角形の範囲)

これだけです。そしてポイントは、この「観察」をできるだけ長い時間連続して行う事、あくまで呼吸を「観察」するのであってコントロールするをわけではないということ。呼吸が荒くても、穏やかでも、片方の鼻孔からしか出ていなくても両方で気持ちよく呼吸ができていたとしても、決してそれを早めたりゆっくりしたりしようとはしないこと。なぜなら、それは「反応」になってしまうから。

 

この一見簡単にも聞こえる瞑想法が、とても難しい。

まず、この「観察」という表現に私はつまづいた。私のなかで「観察」とは”肉眼で何か対象物を見る”ことであり決して目を閉じながらするものではなかった。だから、始め私は目を閉じ、頭の中でイメージを描いた。見えるはずの無い空気の流れを、

目を閉じながら頭の中で描いた鼻孔を、空気が入退場を繰り返す。その絵図を思い浮かべたのである。しかし、これがどうも自分としては納得がいかずもがいていたら

ある時ふとこう自己解釈した。

 

「そうか。観察という言葉を使ったが、目を閉じている以上視覚をあえて遮断しているのだから見えるはずの無いものを頭に思い浮かべるのではなく、その呼吸を、鼻孔への空気の出入りを感じ続ければいいのだ。」

 

ひとつこうした自己解釈ができると、驚く程に気持ちは楽になる。しかし、今度はまた別の問題が出てくる。

 

次に出てきた障害は、人間は一つの事に集中し続けるのが本当に難しいということである。

よし、そしたらこの呼吸を感じ続けよう。そう意気込んでもすぐに他の事が頭をよぎり始める。あぁ、足が疲れた。お腹が空いた。◯◯が食べたい。今何分くらい経ったのだろう。

そうして、気がつけば呼吸の事なんてすっかり忘れている。次こそはとまた意気込んでもまた他のことのに気が取られてしまう。これをエンドレスに続けてしまうのだ。

 

そしてこの時私が自分のなかで落とし込められた自己解釈がこうだ。

 

「よし、今呼吸がどのように出入りしているか。そしてそれが僕の肌を介して自分にどんな感覚をもたらしているのか。これを感じ続けていよう。しかし、他の事が頭によぎってもこの感じ続けるということができていれば今はそれもよしとしよう。」

 

こうした自己解釈が果たして合っているのかは分からないが、少なくとも自分の気持ちをうんと楽にしてくれ、そして瞑想にもっと集中出来るようになるのは確かだ。だから私はひとまず、こうした自己解釈を自分の中でよしとすることにした。

 

 

 

それでは、4日目にヴィパッサナー瞑想の指導を受けるのだがなぜその前にこの

アーナパーナ瞑想をしたかというと、まずぞれは精神を集中する力を養うためだ。

呼吸に意識をおき、それを感じ続ける。これは確かにかなりの集中力を使う。

しかし、精神集中だけが目的であればもっと他に楽な瞑想法もある。例えば、何かを呪文唱えながら瞑想する。あるいは、何か特別なイメージ、特定の人やモノ、自分の信仰する神を思い浮かべる。そういった瞑想法の方がずっと簡単で精神集中だけが目的であればその方がよっぽど楽である。

しかしここでそれをしないのは、ヴィパッサナー瞑想とは、「観察する」瞑想法であるからである。アーナパーナ瞑想は「観察する」訓練でもあるのだ。

そしてその観察対象が呼吸の理由は、呼吸が「意識」と「無意識」の狭間に存在するからである。人は、呼吸を絶え間なくする。「無意識的に。」しかし、その呼吸を「意識」的に強めたり弱めたり、あるいは少しの時間なら止める事もできる。

この「意識」と「無意識」の間にあるものを観察する練習をすることによって

ヴィパッサナー瞑想へ入る前の準備をするのである。

 

 

 そうしてついに、ヴィパッサナー瞑想の指導が始まった。

 

座禅を組んだり目を閉じ自然な呼吸をするのは特にアーナパーナ瞑想のときと変わらないのだが、ヴィパッサナー瞑想では三段階にわけてその方法を教えられた。

【第一段階】

  • 頭の頂点から足のつま先まで順を追って部分ごとにそこにある”感覚”を観察していく。
  • (例)頭の頂点→頭皮→おでこ→まゆげ→まぶた→鼻......→足のつま先
  • ここで、順番は関係ないが、毎回順番は変えないこと。(*見落とすところが無いように)
  • 何の”感覚”も感じないところがあれば、少し待って感覚が浮かび上がってくるのを待つ。それでもダメならば飛ばし、また次に観察してみる。
  • つま先までいったらまた頭の頂点から観察し始める。これを繰り返す

 

第二段階ではこれを、部分ごとにひとつひとつ見ていくのではなく 「同時にできるだけ多くのものを観察する。」 となる。そして第三段階ではこれを、 「体全体の”感覚”を自然な流れにまかせできるだけ多くのところを観察し続ける。」 となる。

 

 

はじめはやはり戸惑いながら進めるも、なんとなく感覚をつかめてくる。

あぁなるほど、こういうことか。そう思ったのもつかの間の4日目の夜の瞑想の時間に、一つ目の事件は起った。

 

「これから毎日、朝昼晩のグループ瞑想の時間を、”決意”の時間とします。この”決意”の時間では姿勢を変えたり目を開けたりすることはしてはいけません。絶対に足も、手も、目もこの時間だけは一瞬たりとも開かない。そう自分自身に”決意”するのです。」

足を組み、瞑想を始めるやいなや突如こう告げられたのである。

 

聖なる沈黙が終わった後に他の生徒に話を聞いても、この唐突な”決意”の時間のお告げは彼らにとっても一種の”事件”だったという。

 

 

ときどき足を崩したり、組み替えたりしながら少し姿勢を変える事によって長時間座り続ける事になんとか絶えていたのに「一切として最初に決めたその姿勢を一時間貫く」

これは、辛いなんて次元ではなかった。明らかに”拷問”だった。

そして一回目の”決意”の時間を終えたあとすぐさま数えた。

「あとこの拷問の時間が18回もある...。」

そうして4日目の夜にして”絶望”を抱いたのであった。

 

私は、この絶望から逃れる為に指導者の人にアドバイスを受ける事にした。

 

:「先生、私は決意の時間に一時間座禅を貫くのが本当に辛いです。”痛み”に頭が支配され、瞑想どころではなくなってしまいます。体育座りなら何とか出来そうです。体育座りではだめでしょうか?」

先生:「ダメということではないですが、瞑想というものはある程度の負荷がかかりながら、姿勢がのびている状態の方がいいのです。だから座禅を組むのです。その方が集中もできるし呼吸も自然でしょう。」

:「しかし”痛み”に完全に支配されてしまうようでは瞑想するという目的すらままならないです。」

先生:「その”痛み”も反応・反発せず”観察”し続けられるように務めましょう。」

:「...。ここでいうその”反応・反発せず”というのは要するに痛みを”我慢”するということですか?」

先生:「...。まぁ、ここではそういう言葉でも言い表せるでしょう...。」「まぁ、やってみてください。その”痛み”も、”変わりゆく”のですから...。」

 

 

 

結局、痛みは”我慢”するしか選択肢はなかった。

しかし、不思議な事にこの先生との会話のあとの”決意”の時間からある程度痛みに耐えられるようになった。慣れていった、とも言えるだろうが、ひとつの言葉の意味を自分なりに”落とし込む”ことができたことが大きかったであろう。

 

 

そして二つ目の事件。8日目にして突如、私の両隣の生徒が二人同時にリタイアしたのである。グループ瞑想を終え部屋に戻るとベットが片付いていて荷物が無くなっている。「あと二日の辛抱なのに、どうして...。」と思ったが

正直、自分もいつリタイアしてもおかしくない精神状態だったし

そういった意味では”たまたま”リタイアした彼らをとやかく言う資格など、私にはなかった。

 

 

最後の事件が、9日目。だいたい終盤になればなるほどみんな表情は明るくなっていき

逃げたい。辛い。といった感情も薄れていく。しかし、私の場合はなぜかこの9日目が一番辛かった。瞑想に全く集中出来ず、心には嵐がふきつけ、今にも荷物をまとめて逃げ出したかった。一人で発狂しそうだった。

 

 

 

しかし、そんな10日間も、始まったときは絶望的な長さを感じた修行合宿であったが

終わってみると短かったようにも感じる。

ちなみに、この10日目の昼前にはこの”聖なる沈黙”は解かれ、他の生徒と喋る事が許されるのだが

みんなほとんど初めて喋るのはずなのに、古くからの親友のようにすぐに打ち解け

話が尽きることはこの瞑想センターを発つ瞬間までなかった。

瞑想期間中は本当にみんな死んだような顔をしていたのに、沈黙が解かれた瞬間からそこには笑顔しか無かった。私も声を発する事に、目を合わせられる事に、ただそれだけのことにあんなに感謝の気持ちが溢れ出た日は後にも先にもないだろう。

 

 

 

10日間を終えて。

 

 

文章が長くなりすぎたので、ここらで一旦文章をきろうと思う。

 

「どうだった?」と聞かれれば、私はまず「辛かった。」と答えるかもしれない。

肉体的な辛さも想像以上にあった。本当に足がちぎれるかと思った瞬間もあった。一日中座っているか寝ているわけなので体力なんて消耗していないはずなのに、ただただ疲れた。

精神的な辛さは、一人旅を長くしていた時に感じた辛さと似たものを感じた。

常に心はさまよい、それを全く自分でコントロールが出来ない。一つの事から派生していっていくつもの悩みが頭をかけ巡り、自分なりの答え・道筋がたったかと思えばまた

「いや、この答えは間違っているかもしれない。」と悩み始める。これが止まないのである。

 

しかし、「行って良かった。」これは絶対に言える。まだうまく理由を言葉にして表現しきれないけど、感覚として感じる。

 

そして、私の「人生は変わった」のか?

そんなことはまだ、知る由もない。これまでいくつもの出逢いや体験が私の人生を何度も変えてきたともいえるし、実はその変化も含め全て運命だったとも言えるだろう。

いずれにせよ、人生が変わった瞬間なんてもっと長いときが過ぎて後から振り返った時に「あの瞬間が、私の人生を変えたのだ。」と気づくのだろう。

 

 

 

最後に、この瞑想合宿に行くことをみんなに勧めるか?と聞かれれば

答えはNOであろう。私は行って良かったと心から言えるが

こういったもので大切なのはタイミングだと思う。

行きたいと思った時、時間が出来た時、作れそうな時

そういったものがうまく重なり流れは本当にその人に必要であれば廻ってくるだろう。

だから、私は別に興味も無い人が無理矢理行くようなものでも無いと思う。

 

 

 

 

 

もし、ヴィパッサナー瞑想について興味を持ち、行ってみたいと思うのであれば日本には千葉と京都の二カ所に瞑想センターがあり、そこで月に一度くらいのペースでこの

10日間瞑想コース(実際には始まりと終わりの日も合わせて12日間)が実施されているのでぜひインターネットで申し込みをしてほしい。ちなみに費用は完全なるドネーション(寄付)制なので、それぞれが身の丈に合ったお金やものやを支払えればいいと思う。一切募金しない人もいれば、何万円も募金する人もいた。しかし、大事なのは感謝の気持ちを伝えることであると思う。

 

 

 

最後に、インスタントカメラで撮った写真。一緒に瞑想をした人たち(実際はもっといた)。年齢も職業も興味もそれぞれ自分とは全く違ったバックグラウンドを持った人たちであったが、こうして出逢い、同じ修行をともにした彼らとは、大きな”縁”があったのだと思う。またどこかで再会出来ると信じて、別れを告げた。

 

 

 f:id:i-am-sora224born:20170321110902j:image

 

 

 

 

 

 

 

「食べる」とは。

 

 

 

「食べる」とは。

あなたがもし、「あなたにとって”食べる”とは何ですか?」と聞かれたら、何と答えますか?それは、生きる為に必要な行為であり、大切な日々の積み重ねのひとつであり、時に、幸せな瞬間を大切な人と過ごす為の営みでもあると思います。

今日はそんな疑問について思った事を記事に書きたいと思います。

 

 

 

 

東京都あきる野市の、山奥にて。

 

つい先日、僕は初めて”あきる野市”に行きました。「武蔵野五日市駅」を降り、飛び込んできた光景を前にまず最初に頭に浮かんだのは、「東京にもこんなところがあるのか。」

目線の先に、密集した建物たちやビルはありません。代わりにあるのは小さな個人店と思える商店や、広い道路、そして”山”。一言で言えばそこは、”田舎”でした。

 

そんな、東京の田舎に僕が出向いた理由は、とあるワークショップに参加する事。その内容はというと、みんなで”鶏を絞める”こと。

 

 

屠殺をしてみようと思ったきっかけ

 

今から約半年前、僕は菅田 悠介さんという方にお会いしました。その方は、大学生でありながら様々な課外活動をされている方で、その中でも僕が特に興味を抱いたのが

「”食料廃棄問題”についての問題提起」でした。

 

当然ですが皆さん、日本で一年間の間に捨てられる食べ物は一体どれくらいの量か知っていますか?

 

その数なんと、約2800万トン。これは、食料消費量全体の約三分の一にあたります。

そして、”食品ロス”と言われる「食べられるのに捨てられる」食べ物は約630万トン。

これは、日本人は毎日一人お茶碗一杯分の食べ物を捨てている計算にあたります。

 

世界中で飢餓に苦しむ人達に届けられる”食料援助”の一年間の総量は320万トン。

つまり、日本人が捨てているご飯の量は、優にソレを超えているのです。

 

そしてこの食品ロスの約半分は、一般家庭から排出されるものなのです。

僕は今まで、食べ物を粗末にするのは飲食店であると思っていました。

常にお客様を満足させる為に、不足がないように食べ物を用意し、提供する。

食べなかった分はゴミ箱行きで、何の価値も持たされず捨てられていく。

しかし、この考えは半分正解で半分不正解なのだと思いました。

結局は、飲食店をしている側がどうこうではなく、一人一人の「食べ物を大事にしよう」という意識が薄い為に起きている現状なのです。

 

かつて、「いただきます。」「ごちそうさま。」と食前食後に唱える、食べ物の命に感謝する素晴らしい習慣、文化を持った日本人は、

多くの食べ物を日々お粗末にしているということです。僕はこのことに気づき、とても悲しくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

そして菅田 悠介さんは、この”食料廃棄”を減らす為に色々な活動をしていて

その一つに、「屠殺(家畜用の動物を殺す事)を通して、”いただきます”を知ろう。」というものがありました。

 

普段僕らが食べるお米や野菜、お肉や魚には全て、”命”が宿っています。

しかし、作物を育てるという経験もなく、生き物を殺すという経験もなく、

お金さえあればスーパーで年中なんでも買える時代になり、

僕たちの感覚は麻痺していきました。それらにある”農家さんとその作物とのストーリー”や、パックにして切り身にされ並んだそのお魚やお肉は、つい最近まで息をしていた”命”であったことをまるで忘れているかのようです。

 

では、どうしたらその”命”に気づけるのか。もっと「食べる」とはどういうことなのか

考えてもらえるのか。そのための問題提起の方法の一つとして、”屠殺”だったのです。

 

 

 

 

 

目に見えない、”命”の裏に。

 

 

この日、僕が参加したワークショップではまず鶏を絞める前に自分らがどれだけ鶏の事を知っているかを知る為に簡単なクイズをしました。結果は、全問正解者0。

普段自分たちが口にしている食べ物のことを、僕たちは余りにも知らないのです。

 

例えば、僕が知らなかったことにこんな事がありました。

普段僕たちがスーパーで買う鶏肉や卵。なぜあんなにも安く大量に手に入るのでしょうか。答えは簡単です。それは、「大量生産」しているから。

今日、私たちが口にする大半の鶏のお肉と卵は同一の鶏たちから成るものではありません。肉用は一羽から採れる肉の量が多くなるように開発され、効率重視のためゲージの中で飼われています(ブロイラー種)。身動きが取れないくらいにぎゅうぎゅうに詰められて。

卵を産む用の鶏は採卵鶏といって、これまた生まれた瞬間に雄か雌か判別され卵を生む雌は卵を産むようになるまでこれまた小さいゲージの中でぎゅうぎゅうになりながら育てられ、卵を産む頻度が落ちたら(歳を取ったら)処分されます。幸い、この処分される肉(廃鶏)は加工用肉(ミンチやミートボールなど)として出荷されますが、

それでは。卵を産む事もなく肉付きもよくない採卵鶏の雄たちは、どうなっているのでしょうか。当然のごとく、生まれる雛の約半分は雄です。

 

採卵鶏の雄鶏は、生まれたその日に陽の目を見る事もなく殺処分されるのです。

2円。これは、この雛たち一羽にかけられる殺処分の費用です。

 

 

 

僕はこの事実を知り、とてもおぞましい気持ちになりました。しかし、これが現実で

僕はその恩恵を受けながら19歳になるまで育ってきたのです。家で気軽に肉料理が食べられるのにも、美味しいケーキが安く買えるのにも、こういう背景があるからなのです。「命のあり方」を考える以前に、僕はまず少なからずその効率・生産性を重視された鶏たちの恩恵をいかに受けているかをまず知る事が出来ました。

 

 

 

人生初めて、命を奪った瞬間

 

 

 

簡単なクイズを終え、ランチも終えた後にはいよいよ屠殺です。少し、その工程を説明します。

 

まず鶏の足をつかみ、逆さにし頭に血を上らせます。そして少し大人しくさせた後には、鶏を気絶させます。方法は基本的に二つあって、一つは木の棒など固いもので頭を殴り気絶させる方法。もう一つは、首をねじり首の骨を外し気絶させる方法。今回取った方法は後者でした。

 

まず驚いた事は、一羽の鶏の重さです。実際に持ってみるとかなり重く

「これから自分はこいつを一人でさばくのか。」という気持ちになりました。

 

そして次にびっくりしたのが鶏の生命力の高さです。鶏の首を絞める時、地面に押さえつけながら鶏の頭を⒉〜3回転するのですがその時の鶏の抵抗力は凄まじいもので

ばたばたと動こうとし、大きな声を上げ鳴きます。

そして以前Youtubeで観たのですが、意識があるまま鶏の首を落とすと、その胴体はまだ殺された事に気づかずバタバタと飛び跳ねます。

 

「この鶏も、生きているんだ。」そんな当たり前の事を感じました。

 

 

f:id:i-am-sora224born:20161210113801j:plain

 

 

 

 

 

胴体から切り離した後の鶏のとさかは、みるみるうちに色を失っていきます。

そっか、この赤は生きた血の色だったのか、なんてことも気づきました。

そして、命絶えた鶏は目を閉じます。首を何回転もねじる中、鳴き声が止み

静かに目を閉じていったあの時

僕は人生で初めて何かの”命”を奪った瞬間を感じました。

それは、罪悪感とも少し違う、けど感謝とも少し違う形容しがたい気持ちになりました。

 

 

死んだばかりの鶏の顔を見てなんだか少し、美しくも愛おしくも思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

首を落とした後はそのまま少しぶら下げたままにし軽く血抜きをし、

お湯にさっと浸ける事で鶏の毛穴を開かせます。そうすることで毛をむしりやすくするのです。

素手でむしりきれなかった細かな毛はバーナーであぶりながら切り、そして次に解体をします。

 

 

 鶏を解体していく中で気づくのが、鶏たちの肉付きの無さ(悪さ)です。スーパーで買う鶏のもも肉一枚(ブロイラー肉)より、ずっと少ないもも肉しか採れないのです。しかし、これが本来あるべき姿なのかなぁなんても考えたりしました。

そして、焼き鳥屋のすごさです。何がすごいって、焼き鳥は本当に出来る限り

無駄無く余す事無くさばいた鶏をいただけるのです。

もも、手羽先、とりかわ、すなぎも、ぼんじり、はつ(心臓)などなど...

そして、もう一つ気づくのが例えばハツ(心臓)。想像していたよりずっと一羽から採れる心臓の大きさは小さくて、多分それは焼き鳥屋さんによると思うのですが串一本分もないでしょう。(0.5本分とか?)

そうか、こんなにも小さな心臓で鶏たちは生きていて、僕は焼き鳥屋に行くとその心臓を、何匹分もの命をばくばくと食らうのか、と気づきました。

 

 

 

 

"屠殺"を通して

 

 

 

 

そして、僕が今回の屠殺を通して思った一番大きなことは「鶏一羽を絞めて食べるまでには、膨大なエネルギーを要する。」ということでした。それは、表面的に見ればただ鶏を殺し解体して調理するだけの事で、回数を重ねればどんどん短縮されていく時間と労力でもあると思います。しかし、僕がここでいう”エネルギー”というのは、鶏一羽の生命(いのち)の目に見えないエネルギーであり、それを食らう僕ら人間の(エネルギー)です。図体の大きさは違えど、鶏も人間も一生命体の一つで、その命のエネルギーに大小や優劣は、そんなにもあるのでしょうか。

 

 

 

戦後、明治時代に入り西洋の文化が入り、日本人が口にする肉の量は今日までに10倍にもなったという話をどこかで聞いたことがあります。効率性を求め、生産性を求め、お客様のニーズに応えることを求め、

毎日肉や魚を食べることに何の疑問を持つことも無くなりました。

しかし本当に、僕らはそれだけの肉魚を食べる必要があるのでしょうか。それだけの命(エネルギー)を食らう必要あるのでしょうか。そんなことを悩み始めた今日この頃です。

 

 

まだ、自分の中で結論付けは出来ていません。辛いけど、目を背けたくなるけど、

もっともっと知っていこうと思います。まだまだ、余りにも知らないことが多すぎるから。そして、「食べる」のが大好きな自分は、もっと知る必要があると思うから。

いつか自分の中で、決心がつくその日まで。

 

 

 

 

「食べる」とは。

 

                                    里口 空

 

 

P.S. 今回屠殺のイベントにて、プロのカメラマンであり猟師でもある幡野 広志さんが撮影してくれた写真は、"グロさ"を与えるものではなく

"命"の美しさをリアルに写し出してくれた、とても素敵な写真ばかりでしたのでフェイスブックにてまた後ほどまとめてアップしたいと思います。興味のある方は、そちらもぜひご覧になってください。

北海道の牧場にて②

 

 

ボンソワール!SORAです!

 

f:id:i-am-sora224born:20160912203820j:image

 

トラクターデビューをついに果たしましたので、ブログを更新したいと思います。

 

 

 

 

さて、前回の記事では僕がなぜ北海道に、そしてなぜ牧場に、かというお話をしましたので

今回は僕がもうすぐ作業を始めて2週間といったところで感じたことを書こうかと思います。では、はじまりはじまり〜

 

 

 

 

 

 

 

驚きと懐かしさ

 

 

 

僕がまず驚いたのは、菅野さんがお世話をしている牛の頭数です。

子牛と母牛を合わせ、約40頭ほどいます。牛舎は二つです。餌やりは基本菅野さんと菅野さんの奥さんの二人で行っていますが、

小さい子供が二人いるので奥さんは作業に加われないことも多々あります。

 

この数を他に従業員雇わないでやっているのか、、、

 

僕はそう感じたのですが、菅野さん曰くココはまだまだ少ない方だそう。

ただ、新規就農でまだ駆け出しということもあり現状はこの数でやっていくそう。

 

 

 

f:id:i-am-sora224born:20160912204722j:image

 

 

 

右に見える二つのビニールハウスが牛舎です。これにも驚きました。

僕が"牛舎"と聞いて想像するものと言えば、、、

 

 f:id:i-am-sora224born:20160912205039j:image

 

こんな感じです。

 

でも最近はビニールハウス型の牛舎が増えてきているそうです。その理由として、

①普通の木造型の牛舎と比べて半額近くの低コスト

②ビニールハウスハウスだから冬場でも暖かく、夏の温度調節もスライド式空調機能があるため便利

 

などの利点があるそうです。

今日も隣町で酪農をやっている方が見学に来ていました。

 

 

そして次に驚いたのは、そんなに臭くないということです。これは他の牛舎に未だ行っていないので比較は出来ませんが、あまり臭いとは感じませんでした。

菅野さんに聞いたところ、しっかり換気をしたり、風があり乾燥した気候なのでうんちなども乾いてくれるから、

又、餌に生菌剤を混ぜたり栄養バランスの良い餌やりをすることによって

牛の腸内バランスが整って牛のうんちがそこまで臭わない、などと言っていました。

 

 

 

さて、では懐かしさとは?

 

実はなぜか僕、初日の作業から例えば

牛が近くにいることや牛に触れること、牛のうんちの臭いなどにあまり抵抗感はありませんでした。牧場に来るのは初めての筈なのにです。はて、なぜだろうと思っていたところ、牛のある仕草で気付きました。

 

 

 

牛は、時々体の筋肉などを部分的にブルブルッて震わせます。菅野さんに聞いたところ、多分そうして身体にくっついたハエを追っ払っているのだそうです。

 

 

 

うん、、、?この光景どっかで前にも見たなぁ。。。

 

 

 

 

 

 

そうです!!!!

 

 

 

f:id:i-am-sora224born:20160912210804j:image

 

 

僕、インド行ってたんですわ(笑)

 

皆さんご存知の通り、ヒンドゥー教の多いインドでは牛は聖なる生き物です。

なので、(なので!?)町中どこを歩いても牛がいます。野生の牛です。

無論、食べることは天地がひっくり返っても無いのですが

野生の牛は落ちてる生ゴミなどを食って適当にそこらへんでうんちをばら撒いて

狭い道の曲がり角から急に出現したりします。

 

僕、この環境下に2ヶ月近くもいました…

 

そりゃ牛への抵抗感もないですわな。しっかりとした餌をあげられ掃除もこまめにされている牛舎がインドの無法地帯牛さん状態より臭く無いわけがないですよね。

 

 

 

 

 

 

そういった背景も手伝ってか、

牛にちゃんと餌をやってうんちの掃除をして飼育している姿を見ると

牛さんが大事にされているなぁと感じます。(インドでは割と道路の邪魔な牛をハァッ!!!!って威嚇しながらどけたり軽く叩いたりしてますw)

 

 

 

 

 

 

 

牛に餌をあげ始めて

 

 

さて、皆さん牛か何を食べるか知っていますか?そうです。もちろん牧草です。

 

f:id:i-am-sora224born:20160912211913j:image

 

はい。ローダーという機械に乗っている僕です。左端に見えるのが牧草ロールです。

これを大きなフォークみたいなのでほぐしてあげて牛さんにあげます。

これが、意外とたくさん食べるのです!!!

特に一度出産を終えたお母さん牛たち、かなり食べます。

f:id:i-am-sora224born:20160912212139j:image

 

朝と夕方に上げるのですが、普段は人間を怖がって近づくと逃げるくせに

餌をあげるときは

「うおおおい!腹減ってんだこっちは!どけえええ!」

って言ってるんじゃないかって思うくらいの勢いで牧草に食らいつきます。

お腹空いてるんですね。

子牛にはたくさん栄養を取ってもらうために3度餌をあげるのですが、

大人牛には朝夕の2回しか餌をあげません。

あまり太りすぎて欲しくないからです。

そして、さっきの写真を見てもらうとわかると思うのですが

牛の首を連動スタンチョンというもので固定させて餌を食べさせてあげます。

これはなぜかというと、牛にも強い弱いがあり、強い牛は隣の弱い牛の分の餌まで横取りしようとするからです。

 

お前のものは俺のもの。俺のものは俺のもの。byジャイアン 精神ですね。

牛の世界も弱肉強食なのです。

 

 

 

f:id:i-am-sora224born:20160912212718j:image

 

すみません。あまり可愛い写真がありませんでした。子牛にミルクをあげているところです。本来ならお母さん牛のミルクを飲ませてあげたいところなのですが

お母さん牛のミルクが充分に出ないため、ミルクパウダーをお湯に溶かして飲ませてあげています。この子たちも一瞬でミルクを飲みのほします。お腹空いてるんですね。

 

 

 

今紹介したのは基本的な餌となります。

この他にも、餌と一緒に配合飼料や生菌剤、ビタミン剤をあげたりすることがあります。

なぜかというと、牧草だけでは足りない栄養バランスを養ってあげないといけないからです。

 

f:id:i-am-sora224born:20160912213516j:image

 

このような本を読みました。ある獣医さんが書いた本です。

とてもわかりやすく書いてあって勉強になりました。

 

 

生まれたばかりでまだ体が大きくなりきっていない子牛は、体の調子を整えるバランスがまだ上手く取れないのです。そして大きくなるためにエネルギーも栄養もたっぷり必要なのです。

そしてこれは、お母さん牛にも言えます。妊娠を控えた牛、妊娠中の牛、出産直後の牛。どの状態も通常時よりもっと気を遣って牛さんの体調管理をしっかり診てやらないといけないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めは、"配合飼料"や"ビタミン剤"を、あげることに少し抵抗がありました。

それは、僕があまり自分でサプリやビタミン剤を飲むのを嫌うからです。

それに、何か野菜を食べるときも、何かと"オーガニック"や"無農薬無肥料"などかかれていると安心出来そうでしょ?

牛を育てるのにも、放牧して勝手に草をあげながら育てるのが良い!

そんな風にも考えていました。

 

 

でも、牛の世話をしていくなかでこの気持ちは変わっていきました。

 

 

 

人間も、体の調子が悪いと病院に行きます。下痢だったら下痢止めを飲んだり、消化の良いものを食べるでしょう。お腹をあっためるかもしれません。

 

赤ちゃんのときは、ミルクを飲みます。その後は離乳食を食べます。熱が上がりやすかったりまだ色々な免疫が付いてなくて病気にもかかりやすかったりします。

カラダを作っていく成長過程では、"よく食べなさい"。そう言われて来ました。

 

お腹に赤ちゃんがいるときは、お腹の赤ちゃんの為にもいつも以上に栄養バランスに気を遣った食事をするでしょう。

 

 

 

菅野さんら、"繁殖農家"さんがやっていることはそういうことなのです。

"世話"をしているのです。ただ餌をあげ太らせ大きくしているのではありません。愛情を持って育てているのです。

 

 

 

 

 

 

たった2週間でも、毎日牛を見ていると気がつくことがたくさんあります。

 

あっ、こいつまだうんち下痢してるな。

食べすぎなのかな?餌減らしてみるか。

 

あれ、こいつ毛がボサボサしてるな。

もうちょっと餌あげて配合飼料もあげてたくさん食べさせてあげないとな。

 

おっ、こいつは体が大きいな。餌をあげるときもよく食べるし、太りすぎないよう餌はこのままにしておこう。

 

 

 

 

 

 

40頭いる牛に、衛生管理状の番号はついていますが、名前は付いていません。

顔も、まだ僕にはあまり違いがわかりません。

 

けれど、みんな人間みたいに個性があるってことを感じます。

のび太もいればジャイアンもいるのです。(ドラえもんはいないかも。いや、僕らかも。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎日の餌やりから感じているのは、"命"です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい!今日のところはここで終わりにします。たくさん写真を使ってしまい、なんだか続編用の写真が無いような気もしますがまぁあまり気にしないでいこうと思います。

 

なんだか中途半端なところで終わった感がありますが、乞うご期待ということで!

 

それでは、CIAO〜(^ ^)

 

北海道の牧場にて①

 

 

 

こんにちは!SORAです。

僕はただ今北海道にいます!牛のお世話をしています。1週間前から生活していて、今月末まではここにいる予定です。

なぜここにいるか、ここで何をしているか、ここで感じたことなど本当は北海道を出るときに書こうかと思っていたのですが

もう書きたい思いが溢れかえりそうなのでとりあえず今日書いてしまいます!

(なので、続編ありです!!)

 

 

 

それでは、はじまりはじまり〜

 

 

 

 

 

 

 

 

北海道で、牛さんと一緒!!!

 

 

最近の僕の日常は、朝起きて牛に餌をあげることから始まります。

もう大分慣れて、2つある牛舎のうち片方の餌やりは一人でほぼほぼやらせて貰えるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい。唐突過ぎました。

その前になんで北海道⁉︎なんで牛の世話⁉︎とかもろもろ前説した方がいいですよね。ざらっとします。

 

 

 

 

 

 

北海道に行きたいと思ったきっかけは、コレといって特にありません。何となく、北海道行きて〜!ってよく口にしてました。だから行くことにしたのです。

多分、広大な土地と大自然、美味しい海鮮料理にジンギスカン、生乳搾りなどそういったことを想像していたのだと思います。

 

 

そしてなぜ牧場か。

決まっています。北海道で言えば牧場です。終わり。

 

なんてことはなく、もちろんそういう単純な理由もあったのですが

もっと真面目な理由を話すと、

僕は最近農業に興味を持ち始めました。

多分一番のきっかけは、熊本に行ったこと。僕のブログの始まりも熊本編から始まりました。

僕は農業を通して、日本の美しい自然、地域・人々のつながり、そして守り行くべき食文化を目にしました。

 

熊本では一週間紅茶畑で研修をしました。その後、お世話になった天野さんという方に引き寄せられ、福島にも足を運びました。

3泊4日の福島の滞在でも、ほんの少しではありましたがお野菜の収穫や田んぼの手入れなどを体験しました。

短い経験ながら、そこから得るものは多かったです。

 

 

 

他にも、僕の周りで"農"に携わる方が何人かいて、その人のお話を聞くことやワークショップに行くことが何度かありました。

ますます僕は"農"の世界に引き込まれていきました。

 

 

 

 

 

 

そんな中、ある時からこう思い始めました。

 

「命に携わる仕事も体験してみたい。」

 

 

 

 

 

お野菜やお米などの作物を育てることが、命を育てることじゃないと言っているわけではありません。僕は、口にするもの全てにちゃんと命が宿っていると考えています。だからこその"いただきます"だとも思っています。

しかし、野菜を育てるのは何というか、もっと"自然を相手にする"と言ったものでしょうか。

 

僕はもっと、目に見えるわかりやすいカタチで命と触れ合ってみたかったのです。

 

 

 

 

 

 

 

北海道、農業、命に携わる仕事

こういった僕の思いが交錯したのが牧場だったのです。

 

 

 

 

 

 

そうと決まれば話は早い!

僕は自分の周りにいる人たちに北海道で牧場をやっている人はいないか聞き始めました。

しかし、これが想像以上に難行しました。

僕のネットワークはまだまだだった、と思って諦めかけていたところ

僕はここでも出会いに恵まれました。

福島でカブ取りを手伝わせさせてもらった菅野瑞穂さんという方から、原発事故をきっかけに福島から北海道に移住して

牧場をやっている知り合いがいると

今回お世話になっている菅野さんを紹介して貰ったのです。(あ、漢字は一緒ですが読み方はスゲノとカンノで違いますよ。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして、晴れて僕は北海道の牧場まで辿り着くことが出来ました。

 

もちろん、「北海道 牧場 バイト」などでキーワード検索すればいくらでもバイトは見つかる世の中です。

ですが、人生は出会いの連続だと思っています。人と人とのつながりを大事にしたいと思っています。今までたくさんの人に助けこられて来ました。

 

なので、出来れば今回も誰かの"つながり"を通したかったのです。もはや、自己満足の一種。しかし、やはり今回の選択は功を奏してくれました。

 

 

 

おそらく普通にネットで探して見つけたバイト先では得られなかったような経験をしていると感じています。その話は、追々と。

 

 

 

 

 

 

 

 

和牛繁殖というお仕事

 

 

さて、では実際に僕が牧場で何をしているかと言うと、それは

"和牛繁殖"という仕事のお手伝いです。

 

 

うん?何それ?という方もいると思うので簡単に説明します!(僕は知らなかったw)

 

 

 

 

 

 

 

皆さん、実は牛って"繁殖"と"肥育"が分かれてるって知っていましたか?

 

たとえば飛騨牛とか、○○牛とつくいわゆる普通"ブランド牛"につく○○の部分の地名って

あれは"生まれた場所"ではなく"肥育された場所"を指すのです。

だから、飛騨牛だからと言って岐阜県の飛騨地方で生まれ育ったとは限らないのです。生まれは全く別の地ということもあるのです。

(実際に、飛騨牛の場合や、神戸牛の場合は超高級ブランドで有名なだけあって細かな決まりがあって実質出生地と肥育地が同じという場合もあります。)

 

 

 

牛が生まれてからある程度の大きさ(一般的に9月齢)まで育てる仕事、それが

"繁殖農家"さんであり

あり程度育って体がしっかりした牛をたくさん食べさせて太らせながら飼育するのが

"肥育農家"さんのお仕事なのです。

 

この二つの仕事は私たちが想像する以上にめちゃくちゃ専門的で日本の和牛流通事情上、実質この二つのお仕事を一つの場所で一貫してやるところはほぼないと言っていいと思います。

 

 

 

意外と知らなかった人も多いんじゃないでしょうか?僕もそのうちの一人でした。

 

 

 

今回僕が菅野さんのところで研修をさせていただいてる中で、まだ1週間ちょっとですが、

たくさんの"牛が生まれ、育ち、肉になり、僕らの口に入るまでの目に見えないストーリー"を見ました。

 

こういった"和牛繁殖"といったお仕事があるというのも新しい発見・気づきの一つです。

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:i-am-sora224born:20160909215554j:image

 

 

 

日光浴している親子牛の写真。

写真は菅野さんのfacebookから。

菅野さんは写真を撮るのがお上手なので、今回はそれを引用させて頂きました。

 

 

 

 

今日のところはこんなところで記事を終わりたいと思います!今回は少しずつ書くかもしれません!

乞うご期待〜🤗

 

 

 

マクロビに魅せられて。

 

 

 

 

どうもお久しぶりです!!SORAです!

一ヶ月以上更新が無く、コイツ蒸発したんじゃないかと思っていた人も多いと思われますが、そんなことなく元気に生きてます。何事もなかったかのように今日からブログ再開します。SORAです。(2回目)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、僕は先日千葉県いすみ市にある「ブラウンズ・フィールド」という場所で

自給自足の”マクロビライフ”を送る中島デコさんとそのお仲間たちにお会いしてきました!そこには、まるで夢のような光景があったので今日はこのブログを通してその時の体験を書きます!

 

 

 

 

 

”マクロビ”とは。

 

はい!それではまず本題に入る前に、”マクロビ”とは何ぞや?という説明です!

 

マクロビオティック (Macrobiotic) は、第二次世界大戦前後に食文化研究家の桜沢如一が考案した食事法にないし食生活法である。名称は「長寿法」を意味する。食生活法は、玄米菜食、穀物菜食、自然食、食養、正食[1]、マクロビ[2]、マクロ、マクロビオティックス、マクロバイオティックマクロバイオティックス」とも呼ばれる。』Wikipedia引用ー

 

 

むむむ、、、さすが天下のWikipedia様...何でも知ってらっしゃる。

しかしこの説明だと少し分かりにくいと思うのでも僕が聞いた話や読んだ話から噛み砕いて説明すると、

まず、”健康的な食事法”である、ということ。とりあえずこれをイメージとして持ってください。

次に、じゃあどう”健康的”であるか、というと、

カラダにも大地にも健康的であるということ です!

 

 

マクロビライフを送る中で、基本的に動物性のモノはカラダに取り入れません。

それは、肉や魚はもちろんなのですが、例えば卵や牛乳・バターなども食べないのです。あれ、ここだけ聞くと”ヴィーガン(純菜食主義者)と似ていますね。

しかし僕が思うところで、他にも違うところというのが精製された白砂糖や、

精米されたお米、つまり白米なども基本的に口にしないということです。

元気で健康なカラダを作るのに、出来るだけ余分なものは要らないよねって感じなのです!(ちょっと説明テキトウ)

 

 

そして、マクロビを語る上でもう一つ大事とされていることが、その土地の旬の食べ物を食べていくということ。例えば、トマトは夏の食べ物です。トマトには食べるとカラダを冷やす効果があり、それは夏に体温が上がるというその土地の気候や環境に適して生まれたものだからです。冬になると、白菜を食べますよね。これも、白菜には食べるとカラダを温めてくれる効能があるのです。

これは僕が今思いついた簡単な例ですが、自然ってものすごく理にかなっていて

自然から生まれたものをそのまま頂いていく事でカラダのサイクルは自然と綺麗に健康に保たれていくようになっているらしいのです!

 

その考え方からも想像出来るように、マクロビには”一物全体”という言葉もあります。

「ひとつのものを、丸ごと全部頂く」という意味で、例えば穀物なら精米していな玄米、野菜なら皮や葉にも栄養がありそれら全部を頂く事でバランスを整えられるようになっている、ということです。

 

 

 

さて、ここまで”マクロビ”について軽くざっとお話していきましたが

正直なところ、初めてマクロビを知った方は

「えっ、魚肉どころか卵バターもダメ?お米も玄米じゃないといけないし

普通のお砂糖とかもダメです、なんてそんなの無理でしょ!」

こう思う人が大多数だと思います。しかし、その”マクロビライフ”を中心に

自分たちでお米や野菜、調味料まで作り(しかも全て無肥料無農薬で!)

「出来る限り自給自足の、無駄の無い生活」を送っている人たちがいるのです!

その人達が暮らすところが、「ブラウンズ・フィールド」なのです。

 

 

 

 

自然と共に暮らす、絵本に描いたような世界

 

 

 

 

 

はい、それではやって参りました千葉県いすみ市

ここ、ブラウンズ・フィールドの最寄り駅は外房線 長者町駅です。

(今気づいたのですが、この駅の名前とマクロビの意味(長寿法)に共通するところがあるのは、偶然なのか、、、)

今回僕は阿佐ヶ谷のバーで会った超絶素敵なお姉さん(例えるならスーパーウーマン)に車で駅から連れて行ってもらったのですんなりと車で行けましたが、みなさんが来るときはバスを乗り継いでしばらく歩くかヒッチハイクしてください!

 

 

 

 

 

 

 

 

ここでまず写真を一枚。

 

f:id:i-am-sora224born:20160906183256j:image

 

可愛いヤギちゃん♡

ここBF(ブラウンズフィールド 以下BF)ではヤギを飼っています!なんでも、ヤギは究極の循環生物なのだとか。勝手に草を食べてくれるし餌はあげなくていいし、うんちやおしっこも土に返っていくそうです。生きてるだけ感謝感謝!らしいです。知らなかった〜〜〜

 

 

 

 

 f:id:i-am-sora224born:20160906200601j:image

 

 カフェもあります。全裸の男の子が走り回って遊んでいました(笑)この木の陰の下でマッサージ受けてる人も、、、

辺り一面芝生が広がっているので子供が走り回ってもお母さんたちも安心です。

f:id:i-am-sora224born:20160906200831j:image

 ハンモックもあります、、、

 

f:id:i-am-sora224born:20160906201106j:image

 

映画で観るような木造の可愛い家もあります、、、

 

f:id:i-am-sora224born:20160906200924j:image

 

とても美味しいスイーツも、、、

 

f:id:i-am-sora224born:20160906201256j:image

 

もちろん、マクロビのね!!!

実はこの珈琲ゼリー、とってもとっても可愛い女の子が席に運んんで来てくれて、そのとても素敵な写真もあるのですが許可を取るの忘れたので今回は非公開。残念、、、

しかし!!!もれなく綺麗なお姉さんorキュン死するほど可愛い女の子がカフェで接客してくれるということもここ、BFのポイント。(僕の個人的意見です。)

 

 

 

 

 

 

前々から噂には聞いていた中島デコさん。そしてその住まい兼レストラン、カフェ、宿泊施設、イベント会場であるBF。

訪問する前に少しホームページやブログを読んで驚いたのですが

ここBFでは、限りなく完成形に近いほど自給自足・循環型の生活が送られているのです。

 

野菜やお米は敷地内で自然栽培しており(その種全40種!!!)、日々の食事は自分たちの菜園で採れるものと足りない分はご近所さんから頂いたもので作っているそう。し!か!も!味噌や醤油など日本の伝統的発酵食品まで手作り。これには驚きました〜〜〜

 

食べ物だけではありません。

雨水はタンクで貯め洗濯や洗い物に再利用、お皿を洗うとき洗剤は使わず出来るだけ油を出さない、残さない。そしてそれでも落ちない汚れはウエス(着古した服やシーツの切れ端)で洗って出来る限り排水の汚れも少なくしようとしているそうです。

コンポストもあります。ウエスにも動物の餌にもならなかった生ゴミたちは米ぬかや籾殻と混ぜられ微生物の力を借り土に還っていきます。

そう、BFでは"ゴミ"が限りなく0に近いのです。

 

 

 

 

宴の始まり

 

 

そして今回僕が晴れてこのBFに訪れるきっかけが、この建物。

 

f:id:i-am-sora224born:20160906203613j:image

 

BFの敷地続きにあった築200年もの古民家を改築し生まれ変わった新空間。

子供も遊べる、大人たちは炉端で休み

時にはワークショップ、時には自然栽培で採れたお野菜を自炊なんてしながら生活する場になります。

実はコレ、クラウドファンディングを通して生まれました。そのとき、力を貸した1人が"自由人"としてこれ程までに有名な人はいない、高橋 歩さん。今回はその高橋 歩さんをゲストスピーカーとして開かれたプレオープンの日だったのです!!!

 

 

 

f:id:i-am-sora224born:20160906205327j:image

 どん!

f:id:i-am-sora224born:20160906205451j:image

どんどん!

 f:id:i-am-sora224born:20160906205609j:image

どん!どん!どん!

 

f:id:i-am-sora224born:20160906205626j:image

 

f:id:i-am-sora224born:20160906205642j:image

 

f:id:i-am-sora224born:20160906205707j:image

 

 

 

はいーーー!!!

宴が始まりました!!!

もう文章で説明するのが面倒だったので写真をたくさん載せました。途中から食テロブログになり申し訳ございません。

 

 

本当にこれマクロビ!?そんなの一切気にならないというか、気付かないというか

ただただ美味しい美味しいと呟きながら次から次へと口に頬張っておりました。

手作りのお酒もありました。ほろ酔いました。

 

 

 

f:id:i-am-sora224born:20160906210105j:image

お食事の場でデコさんになぜマクロビを始めようと思ったのかと聞くと、子供を自分が持つことになって、"どうやったら子供が健康に元気すくすく育つだろう。"を考えた結果だと答えていました。

 

それと、こんな質問もしました。

「デコさんはもう、マクロビ以外の食事はされないんですか?例えば、魚やお肉を使った料理、白砂糖の入った市販のお菓子などなど…」

すると、デコさんはこう答えてくれました。

「言わゆる、"普通"の食事も摂るわよ、たまにね。やっぱり、人からの頂き物だったり食事の席だったりどうしてもそういうのを口にする場はあるじゃない。でもだからと言ってマクロビのお食事しか口にしないって言ってそれらを全部断っていたら食べ物も勿体無いし、何かハッピーじゃないじゃない。食事って人がハッピーになるための場であるべきだと思っているし、ただ今の世の中余りにも"摂らなくてもいいもの"が溢れているから

せめて家でご飯作るときくらいはそういった要らないモノは体に取り入れないようにしているの。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は、コレが一番聞きたかったのかもしれません。

 

オーガニックだとかマクロビだとか

色々な"健康な食事"が提案されるようになってきて、最近僕は忘れかけていました。

 

まず、"健康な心"であること。

食べたときに「美味しい!」

誰かと一緒に食事をして「楽しい!」

こう感じられること。

これがまず何よりも大事なことだと思うのです。

 

デコさんらのお話と料理は、それがひしひしと伝わってきました。

美味しいのです。楽しいのです。気持ち良いのです。空間が、自然が、空気が、人が。

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんもぜひ、このブラウンズフィールドに足を運んでみてください。デコさんに、その家族、友達たちに。人が、空気が、自然が迎え入れてくれるはずです。

 

僕は今回余りにも交錯する思いがありすぎて結局上手く文章で伝えることは出来なかったですが、

このブログを読んでくれた方に感謝しています。そして少しでもマクロビ、BFについて興味を持ってくれたら幸いです。

僕もまたBFに行ったときは第2弾を書こうと思います。

 

 

 

Ciao!

 

 

 

 

 

 

 

FUKUSHIMA2

 

 

 

 

おはようございます!SORAです!みなさんPokemon goやってますかー!?

既に社会現象になりつつあると思います...楽しくゲームも大事ですがルールとマナーを

しっかり守って安全にね!新手のPokemon goナンパなんてのもあります!

 

 

 

さて、今日は前回に引き続き僕が福島に行ってきたときのお話。

ぜひ読んでください^^

 

 

 

 

 

(ほぼ)初めての農業体験

 

 

まず福島に行ってしたことはというと、食べる!飲む!食べる喋る!でした...

とても楽しいひとときだったんですが、余りにも楽しい時間ばかりが過ぎると

人間堕落していってしまうので次の日の朝には労働力となって頑張りました。

 

 f:id:i-am-sora224born:20160723105828j:image

初めてのカブ取り。

 

少し見えてる頭の大きさからカブの全体の大きさを予想し、ある程度大きいのだけ収穫していきます。カブって、意外にも全く力をいれずにするっと引っこ抜けてしまうのです。

この、カブを抜く瞬間の楽しいことといったら、、、

「命を頂くって、こういうことなんだなぁ。」なんてつぶやきながら

取ったその野菜を、泥がついたまま生かじりしました。

「甘ーーーーーーーい!!!」

いつしか耳にしたことのある声が聞こえました。

テレビでタレントとかが農家さんのところにお邪魔して、採れたての野菜を

かじって同じ事を言ってたの見て信じられなかったけど、思わず僕も叫んでしまいました。

 

 

 

朝の一仕事を終えた後は”農家さんのおやつ”こと、チマキを食べました。

チマキといっても、皆さんが想像するであろうのは恐らく五目おこわみたいのが

茶色の葉っぱでつつまれたやつ。。。しかしそれは”中華”ちまきで

農家さんが古く食べていたのは餅米を笹の葉で包んで茹でるだけ、というとても

シンプルなもの。これをきなこにつけて食べるのですが、また絶品で、、、

 

f:id:i-am-sora224born:20160723105929j:image

しかしこの”農家さんのおやつ”も、今では食べる人はおろか知っている人も

少なくなってきているそうです。僕としては、こういった食べ物をもっとみんなに改めて知ってもらう事でその土地の習慣や歴史を学べる機会が作れたらなと思います。

 

 

 

カブの根をを少しきって水で泥を洗い流して、の単純作業を繰りかえした後は

昼ご飯です。また!?また食べるの!!?と思った方も多いはず。

そうなのです。今回の福島滞在、結果として「食べる」がメインイベントに

なっていました。(笑)

 

f:id:i-am-sora224born:20160723110000j:image

 

 

毎回の食事で出てくる料理のほとんどは、自家製の野菜だったりお米だったりして

その味がまた美味で、、、涙が出そうになります。

 

 

 

 

 

また、後日には初めての田んぼ作業をしました。

素足で入って、雑草をただひたすらに取っていました。

朝の作業と、午前中の作業でも時間は足りず終わりきる事が出来ませんでした。

この田んぼでは、減農薬でお米を今年から作り始めたそうで、

そのため生えてくる雑草を取る作業にまだまだ奮闘中だそうで、

今回僕がお世話になった農家さんがこう言っていました。

「有機無農薬野菜バンザイ、オーガニック最高って言ってる間は

まだまだそれを”ファッション”とでしか言ってないよね。

無農薬で野菜を育てるってことがどんなに大変かみんな知らないで

言ってるだけだからね。」

 

確かに、農業をやっていくなかでやっぱり完全なる”無農薬”ってのは

難しくて、それに”無農薬”だからと言って必ずしもその野菜が栄養素が

高かったり美味しかったりするわけではなくて。

僕は今回農業のほんの一瞬を見ただけなのでどっちとも言えませんが

農薬を使う事自体が完全に悪でもなければ、無農薬が正義でもないと思います。

無論、無農薬有機栽培で野菜が作れて、かつそれが美味しければ言う事はないのですが

そこまでして作られた野菜には、どれほどの年月と苦労がかけられているのかを

想像してそれ相応の対価を払うべきだとも思います。それはお金だけではなく、敬意と感謝でもあると思います。

 

 

f:id:i-am-sora224born:20160723110038j:image

 

セクシーショット

 

f:id:i-am-sora224born:20160723110112j:image

 

満足げな二人

 

 

農業をやると

 

 

 

 

 

 f:id:i-am-sora224born:20160723110218j:image

 

 

農業をやると、朝起きるのが早くなります。

朝の一仕事を終えて朝ご飯。午前中の作業が終わったら昼ご飯。

そしてまた午後にはおやつをはさみつつ、夕ご飯。

朝起きるのが早いので自然と寝るのも早くなります。

こうして日々の生活リズムが自然と良くなるし、

雨が降ったら農作業が出来ないことや

災害に遭うと丹誠込めて育てた野菜たちなどが一夜にして食べられなくなってしまったり

その年の気温や気候によっても上手く育たない事があります。

けれど”命を育てる”、そして”命を頂く。”この二つがいっぺんに出来ることや

自然に逆らうのではなく、自然と上手く付き合っていく術を学ぶ姿は

今の日本に失われつつある”大切な何か”だと思います。

 

 

僕はこの3泊4日の福島での滞在の間、ずっと熊本の山奥の紅茶畑でお手伝いをさせてもらってたときのことを思い出していました。

朝起きて、外に出ると聞こえるのは風の音と虫や鳥の鳴き声だけで。

自然に触れ合いながら仕事をして、美味しい空気と水とご飯がそこにはあって。

この大量消費社会の中で生き疲れてしまう人が多いなかで

”農業”ってのは”命”という目に見えないものをを大切にすることと、

そこの土地(自然)と地域(のつながり)を肌で感じていくことが可能になる

手段のひとつなのではないかと思います。

 

農業なんてダサい!大変だしお金ないし!

なんて風に思っている人がまだまだ多く感じますが

もっと農業の素晴らしさや面白さに気づいていける人が増えたらなと思います。

 

 

 

 

FUKUSHIMA

 

題名をローマ字で書いた性もない理由は、昨年僕が海外にいた時に

外国人の友達から驚かされた事がきっかけ。

Tell me some words that you know about Japan!(あなたが知ってる日本語のコトバを何か教えて!)と聞くと、みんなまず間違いなくSushi!(寿司!)とか

Hiroshima!(ヒロシマ!)と言ってくるのですが、それと同じくらい

FUKUSHIMA!(福島!)と言ってきたのです。

僕にはこの出来事が衝撃的でした。

外国の人でもみんな知っているくらい、世界中で大きなニュースだったのです。

ドイツに住んでいた日本人の友達から聞いて知ったのですが

5年前、福島で原発事故が起きた時、日本では何かと規制がかかってテレビで流される事はあまり無かったのですが。海外では普通に、原発事故の爆発のシーンが流されていたそうです。今でこそYoutubeで見られますが、実際に映像で爆発のシーンを見ると

あの事故の恐ろしさがますます伝わってきます。

こんな事故があったのに原発を再稼働だとか、原子力を輸出だとか

今の日本の阿部政権は狂ってる!そう仰る方がたくさんいるのにも

うなずいてしまいます。怒りというより、不思議でしょうがないのと、情けなくて悲しくもあります。

 

 

福島には、美味しいお米も野菜も果物もあります。温泉だって海だってあります。

それが、5年前の原発事故をきっかけに崩れていきました。

”福島”と産地に書かれた作物は普通の値段じゃ買ってもらえなくなり、

土地から人が離れていきました。観光客が多かったわけではないですが

もともと農業をやる人が多かった福島にとって、作物が買ってもらえなくなることと

人が減って農業をやる人がいなくなっていくことは大打撃でした。

そんな福島に行って僕が今回感じたのは、農業の素晴らしさや

豊富な福島の食材、土地。そして福島のひとたちの政治や経済、未来への意識の高さでした。困難なことを多く抱えているからこそ、その困難に立ち向かって生きている人達は熱く真剣で、そして新たな輝きも放っているのだと思います。

 

 

もう、頑張ろう東北!は言わなくていいんじゃないかと思います。

これからは、外にいる僕らがもっと東北の良さを知って広めていく番だと思います。

 

 

 

 

 

 f:id:i-am-sora224born:20160723110259j:image

右に見える黄色い天ぷらわかりますか?

ズッキーニとかぼちゃの花の天ぷらです。中がとろぉっ。としてて絶句してしまうほどの美味しさです。新鮮な花がと採れてこその楽しみ。

 

f:id:i-am-sora224born:20160723110418j:image

 

ある日のお昼ご飯。塩むすびと卵焼きと、きゅうりとかぶの塩もみ。こんなシンプルな食事もとても美味しいのであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて!今日の記事はここまでです。最後まで読んでくれてありがとうございました😉

ちなみに、なぜ冒頭の文章で「(ほぼ)」初めての農業体験と書いていたかと言うと、

さかのぼる事小学校の頃の学校での農業体験。確かみんなで長野とかに行きました。

農家さんのところで農業体験をして、色々なお話を聞きながらみんなで美味しく楽しくやりましょう!って会なのですが、僕が当時お世話になった農家さんが猫を17匹買っていて、まだその頃自分が猫アレルギーだと知らなかった僕は当然アレルギー反応を起こして倒れてしまい病院に運ばれたのです。(笑)

幸い、大事には至らなかったのですが当然ろくに作業も出来ずみんなとわいわい楽しむ事も出来ずに終わった苦い経験があったからなのです。(笑)

だから、今回の福島での体験は、ほぼほぼ「”初”」と言っていいのかな、とw

 

 f:id:i-am-sora224born:20160723110557j:image

 今回僕が一泊だけお世話になった民宿。とても素敵な農業体験と、美味しい食事がこれでもかこれでもかってくらいたくさん食べられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、みなさん良い週末を〜

 

FUKUSHIMA

 

 

 

 

みなさんこんにちは!SORAです。

つい先週までは新潟にいました。そしてつい昨日までは福島にいました。

そして今は東京にいます😌

 

今回、ご縁があって福島に行くことになって、3泊4日と短い間ではありましたが

とても貴重な体験ばかりさせて頂いたので、今日はそのことを記事に書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

福島に行ったきっかけ

 

僕の最近の生き方は、いい意味で”流れ”に身を任せながら生きています。

先週まで新潟にいたのも、今回福島に行ったのもそういった”流れ”がやってきたので

それに逆らう事無くただ身を任せていったまでなのです。

 

僕はちょうど一ヶ月半くらい前に熊本にいました。プチ紅茶畑体験をして、

その時の体験がきっかけで”生産者”側から見た食への向き合い方に興味が湧きました。

そう思った地がたまたま熊本という被災地で、水俣市という一昔前、アノ公害病で苦しんだ場所で、そして有機栽培・無農薬で紅茶を作っている天野製茶園さんのところで。

そんな色々な偶然が重なり、天野さんから今回一緒に福島に行くのを誘われ

是非!!!と返事をし連れて行ってもらったのです。

 

ではなぜ、今回天野さんはそもそも福島に行こうと思ったのか。

そこには深い理由がありました。

 

今から3ヶ月前、熊本で大きな地震がありました。

多くの方が被災し、人が足りない、物が足りない、土地がめちゃくちゃになり

家も崩壊したりと未だに復興の目処はたっていません。

天野さんの住んでいる水俣市の山奥でも大きく揺れましたが、

TVで報道されていた映像などに比べると被害は全然なかったそうです。

しかし、二回に及ぶ大きな揺れ、絶える事の無い余震に恐怖を感じ

避難所や車中泊自主避難したりする方が多かったそうです。

しかしそういった方々まで物資や支援の手などは行き届かず、そこで天野さんは

地震直後からいち早く動き出し炊き出しをしたり物資の運搬をしていました。

 

ようやく少し落ち着いてきたなか、天野さんは「まだまだこれから。」と

叫び続けています。

震災が起きる前からの熊本の課題として、若者の地域離れ、とそれに伴った離農(農業を辞め、離れていく事。)があったといいます。

親の家業を継ぐことが当たり前じゃなくなってきたこの世の中の流れにいたのは

(いるのは)熊本も例外ではなく、せっかく山と海と気候に恵まれた土地があるにも

関わらず農業をする若者が減っていき、その分郊外から都市部へ行く人も増えました。

そんな中、地震に遭い農業どころでは無い状況になってしまって

代々受け継いできた農業を辞めたくはないけど、”今”生活しないといけなくて、

家族に食べさせてやらないといけなくて、仕方なく仕事を求めてどっかもっと人の

いるところに、仕事のあるところに、とその地域や熊本を離れてしまう人が

増えてしまう状況に追い打ちをかけられてしまいました。

 

「何んとかそこで、踏ん張ってほしい。」

 

そう天野さんは訴えかけます。しかしこの苦しい中この地に残りながら

生きていくのにはそれなりの「覚悟」が必要だと。

 

 

そして、天野さんの住む水俣市にはもう一つの「覚悟」を持った人達が

生きているといいます。

ちょうど今年で60年。皆さんはこの数字が何を表しているのかわかりますか?

それは、”水俣病”という『公害の原点』とも言われる病気が公式確認 されてから

60年なのです。工業廃水に含まれたメチル水銀を魚が摂取し、その魚を人間が食べることによって体内に少しずつメチル水銀が蓄積していき、やがてそれが原因で神経細胞が障害を受けてしまう病気です。水俣病を完全に治す治療法はまだ発見されていないそうです。当時多くの人を苦しめただけでなく、色んな生態系、自然を破壊しました。

そういった土地で、”治らない”病気と闘いながら生きていくのには

「覚悟」が必要で、その背景を持ちながら生きているからスゴい、と天野さん。

 

 

今回福島に行ったのは、福島にいる人達の「覚悟」を見に行くため。

「福島も大地震に遭い、しかもそれに加え津波に襲われ原発での事故もあって、

まだたった5年だけど、されど5年。この苦しい中生きてきた先輩たちから

これから自分も生産者側の人間として、被災者として、でもこの熊本県水俣市という地に残って。地域をどうにかして盛り上げながら頑張っていきたいと思っているから、

これからのヒントだったりアドバイスを頂けたらなって思ってね。」

そう今回の福島訪問への熱い思いを、たった少しの時間ご一緒させてもらっただけの

僕に語ってくれて、ついていってみたい?と声をかけてくれたのが

今回僕が福島に行く事になったきっかけです。

 

 

 

 

 

本当はもっと書くつもりだったけど、今回は少しずつ頭を整理しながら書きたいので

今回は”きっかけ”まで。次回はこの記事の続きから書きます。

 

 

 

それではみなさん、さようなら〜

毎週金曜日の更新では無くなってきたけど、読んでいる人も少ないので(笑)

あまり気負わず気ままに更新していくので(でも継続はするので)

暇なときにでも読んで頂けるとハッピーです!

 

 

f:id:i-am-sora224born:20160716093912j:image

 

カブを洗っている時の写真。