「選挙に行こう」とは、果たして。

 

 

 

 

みなさんこんにちは!SORAです。

今日はタイムリーな話題の、「選挙」について書きたいと思います。

 

 

 

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カルロスさんがくれたチャンス

 

 

 

みなさんところで、明日7月10日の参議院選挙の投票には行きますか?

 

僕は現在新潟に車の合宿免許に来ていて、当日も新潟にいる予定で

東京にはいないので、不在者投票という制度を通して一昨日、新潟にて投票に

行ってきました。今回の選挙から投票権が18歳に引き下げられ、現在19歳の僕にも

投票権が与えられました。かといって、僕は”政治に興味ある系”の人間で、

政治に対して知識も無ければ、そんな自分を言い訳に投票に行く気も正直

そんなにありませんでした。

 

crls1031.com

 

 

 

しかし、僕はカルロスさんというインドで仲良くなった友人のブログを読み、選挙に行く事を決めました。

 

20160630三宅洋平 選挙フェスDay9 多摩センター「この機会をぜひ革命のために使って下さい」東京都選挙区 参議院選挙 - YouTube

 

とりあえず、この動画をぜひ見てみてください。44分程と、少し長めですが、

この動画を見るのに費やす時間は無駄にはならない事を保証します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少なくとも僕は、カルロスさんのおかげでこの三宅洋平さんという熱い方を

知る事が出来たし、選挙に行かない言い訳ばかりを考えていた僕に、

行く”チャンス”を与えてもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若者が選挙に行くという事

 

 

 

 

 

さてちなみに皆さん、前回の選挙(衆議院選挙)では一体どれ程の人が投票したかを

知っていますか?割合にして、それはたったの52%だったのです。

国民が主体で政治を決めていく民主主義の国で、こんなことがあっていいのでしょうか。

こちらのデータも見てください。

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お分かりでしょうか。50〜70歳代の方々の投票率が6割〜7割にあるなか、

30歳代の方々の投票率は4割、20歳代の方々の投票率はなんと3割しかなかったのです。

 

 

 

 

 

この結果から言える事がどんなことかもう分かりますよね。

選挙に行く人がお年寄りばっかだったら、政治家たちはお年寄りのご機嫌ばっか

取ります。すると、そこで打ち出される政策は自ずとお年寄りに好都合のモノばかりです。逆を言えば、若者が選挙に行かない、ということは若者の思いが政治に

反映されていかないということです。

しかし、本当にそれでいいのでしょうか?

これから先の未来を考えていく中で、より良く発言されるべき声は

すぐ目の前にある次世代のリーダーともなる若者たちの声ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、ある友達からいきなり電話がかかってきました。

「空、今年から選挙権あるよね!空は投票に行くの?」

その時僕は、行かないと答えました。選挙のときは新潟にいるし、期日前投票

開始されたときは既に東京から離れてたから行けないんだよね、と。

 

「行きたいけど行けない。」そんな風に聞こえるように、言い訳のように答えました。

 

するとその子に言われました。

「もったいないね。せっかく空の大事な一票なのに。」

 

 

僕の頭の中にはこの言葉がずっと残っていました。

 

 

 

 

 

何となくもんもんとしていた頃、カルロスさんのブログをたまたま読んで

その友達からの電話での一言があって、僕は選挙に行く事を決めました。

最悪選挙の為にだけ東京に帰るつもりでしたが、旅行先にいながら期日前に投票出来る制度(不在者投票)があることを後々調べて知りました。

そして、僕は人生初の選挙に行ってきたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は、本気でこれからの日本の未来を変えていく世代は20代、30代の若者らだと

信じています。

しかしその当人らに、自分がどんだけ自分らの人生を豊かにしていくチャンスがあるのかを自覚していない人がこんなにも多い状況は異常事態だと思います。

「日本の政治ってだめだよね。」

「◯◯さん、嫌い。」

汚職問題しかないよね。」

そうやって誰かを罵る事は出来るのに、「だから変えなきゃ!」とか

「もっとこうすれば良くなるよね。」とか自分の意志を持っている人は少ない。

 

 

 

例えば学校に払う多額の教育費とか、例えば形上与えられているのに取る事の出来ない

有給休暇とか、例えば病気になった時にでもお金が無いから病院に行けない時とか。

 

社会の一員となり生きていく中で普段何気なく”当たり前 ”と思っている色々な事が

実は政治に密に関わっていて、それらが自分たちで変えていくことが出来る

チャンスがちゃんと与えられているんです。政治って、政治家に任せっきりでいいことではないんです。だって政治って、僕らの生活そのものに直結していて

その生活を守っていく責任は、自分たち自身にあるんですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

政治に無知だから、といって選挙に行かない人達へ。

 

 

 

 

 

ここ2週間くらいは、主にFacebookのタイムラインを通して、よく

『選挙に行こう』という言葉を目にします。

 

正直、僕はこの言葉を大にして発信していくことが出来ません。

 

それは、僕自身が選挙に行くつもりが直前まで無かった事と、

余りにも”無知”な中、選挙に行けと急に言われても

誰に投票すれば良いかも、どうやって投票すれば良いかも分からないという

意見も理解出来るからです。しかし、前述の通り、

「政治(自分の将来)に関わっていく」ことの大事さを今は感じ、

そして「この人なら投票してもいいかも。」と思える方を知る事が出来たからです。

 

 

 

そこで僕が思うに、「選挙に行こう。」といったこの言葉から読み取るべき思いは。

「政治に真剣に向き合ってみよう。」ということなのでは、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

投票するということは、自分の大事な一票を使って自分の意思表示をするということ。

そして誰かを選ぶってことは、その人のことをもっと知らなきゃ、本当にこの人で良いのか、本当に今の政治に必要なのがこの人かってのを考えるということ。

そうやって段々と、自分がいかに無知であるかということを知り

もっと政治について知ろうという姿勢をつくろうということなのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、もう前日にはなりますが

「誰に投票したらいいかも分からないから。」

と言って投票に行けるけど行く気のない同世代の人へ。

誰でも良いから、まず真剣に”投票してみよう”と考えてみてください。

そしてもしそれでも誰にも投票したくない、投票したいと思う人がいない

と思ったなら、それでも投票会場に足を運び、未記入でもいいから

空欄のまま投票してみてください。記録上は”記載無し 無効票”として

カウントされるでしょうが、”自分は投票したいと思える人がいなかった”や、

”自分は政治には興味がないから、例えそれがどんなに自分の生活に影響を

与えているとしても、良きも悪きも口は出さない。受け入れる”という

自分なりの意思表示にもなると思います。

こんなのは単なる自己満足にしか過ぎないし、わざわざ”無効票”を投票しにいく

意味などを感じないかもしれませんが、でもその行動自体はこれから先の

自分の人生の歩み方に良き変化を与えてくれるかもしれません。

だから、僕はその行動が無駄になる事は無いと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の記事はここで終わります。

毎週金曜日の更新の予定だったのですが、先日”上手いSNS(主にFacebook)の

更新方法”なることを綴った記事を読み、金曜日は一週間の中で一番

閲覧数が低い事が多いらしいので、これからは毎週土曜日に更新です!

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました!

気に入ったらシェア・拡散もよろしくお願いします。

それでは、また来週〜^^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いただきます。」

 

 

こんにちは!SORAです!今日も金曜日(日付またいでる)なんで更新しますー!

 

 

記事を書き始める前に、最近の僕と言えば新潟に遊びに行く口実として車の免許合宿に参加し遊んでますwそんな僕も今日仮免許証をゲットしました!!

路上で運転してみて、運転ってこんなにも難しいのかとビビってます(笑)

 

 

 

さてさて、そんな事はさておき。今日は「いただきます。」について書きたいと思います。

 

 

 

 

僕、生まれる

 

1997年2月、僕が誕生します。生まれた頃から食いしん坊だったらしく

小さい頃からよく聞かされた僕の食いしん坊エピソードとして

『サッカーボールおにぎりに興奮し、誰かに取られまいと一気に10個口に詰め込んだ』などがあります。こないだ幼なじみから言われたのは

「初めて空が保育園に来た時、『こんなにご飯を食べる人がいるんだ』ってめっちゃ驚いたのを小さい頃だったけど覚えてる。」

と言われました(笑)

 

どんだけ自分、食いしん坊やったねんと思います。

当時の僕の記憶としては、毎日の給食がただただ美味しかったと言う事くらいです。

 

 

小学校に入ってもその『食べること』についての熱は冷めず、ただただ無心に、

まるで競争のように学校でも家でも食べ続けました。

多分、「空くんはほんとよく食べて偉いね!」と言われるのが快感すらに感じていたのでしょう。そうやって食べ続けて、行った末は ”デブ”でした。

もうほんと、ピーク時はお腹にスイカ入れてるんじゃないかくらい太ってました。

しかも、幸か不幸か、その事に(太っていた事に)しばらく気づいていなかったのです。

 

 

そして時がたち、歳を重ね、周りの目を気にするようになっていき

自然とデブへの自覚も湧き、ダイエットし、痩せていきました。

 

 

そんな、食べること、が大好きな僕が小さい頃から徹底されて言われてきたのが

『いただきます』と『ごちそうさま』をちゃんんということ。

その一言ずつを言わないと、「ちゃんと『いただきます』言ったの?」と

よく注意されました。

 

「食べ物には、お肉にも野菜にもお米にも、みんな見えないけれど”命”があって

それに感謝する為にちゃんんと『いただきます』と『ごちそうさま』は言わないといけないんだよ。」

 

これが僕が最初に習った『いただきます』でした。

 

 

 

 

「いただきます」言えない日本人

 

 

これは、昨年海外にいて色んな多種多様な文化・習慣を持った人達と交流がある中で

無意識的に(必然的に)気づいたのですが、この「いただきます」 と言う習慣、

そこに秘められた想い、感謝の言葉であるということ、『命を”いただく”』という

概念は、日本独自のものであるな(韓国では、同じ考え方があると思う。)と

感じました。普段何気なく口にしていた言葉が、こんなにも素敵な言葉なんだと気づいた瞬間でした。

 

 

 

 

さて、それでは皆さん。ちゃんと毎回の食事で「いただきます」って言えてますか?

 

 


中学校、高校に上がるに連れて僕はご飯を食べ始める時”嫌悪感”を抱く事が増えてきました。それは、何か食べ物をいただく時にちゃんと「いただきます」を言う人が

少なくなっていったことにと、僕自身もソレを言い忘れることがあったことにです。

 

 

”恥ずかしい”や、”一人でいるときは言うのが面倒くさい”など言う人がたくさんいて、

それが年を重ねるごとに多くなっていった気がしました。

 

 

 

 

 

「ごちそうさま」、とは。

 

 

 

さて、僕が今言った「いただきます」と同じくらい強い思いを持っている言葉が

「ごちそうさま」、です。

 

 

 

よく、「ちゃんと米粒まで食べなさい!」と親に注意されました。

 

恐らく皆さん知ってらっしゃると思うんですが、『はだしのゲン』という漫画を

小学校の頃読みました。その漫画のあるシーンで、炊いてない米粒一つを奪い合って

ゲンとその弟が殴り合いの喧嘩をする場面がありました。それに見かねたお母さんが、

「お母さんお腹空いてないから、お母さんの分もあげるから、だからそんなことで喧嘩するのはおよし。」と自分の食べるはずのお米をあげるシーンには思わず涙が出るとともに、「昔の人は、こんなにも、米粒一つで喧嘩するくらい食べるものがない時代があったんだ・」と衝撃を受けたのを今でも覚えています。

 

 

それからか、(その前からかもしれないが)僕は米粒一つでさえ残すのに

違和感を覚えるようになっていきました。説教ぐさく「ちゃんと米粒までたべなよ!

その米粒一粒ですら貴重で食べられないひとが世の中にはいるんだよ!」と

ことあるごとに友達にも言っていた時期がありました。今思えば、それは間違った事は言ってないしもちろん悪い事ではないと思いますが『自分食べる事についてちゃんと重きを置いてます』アピールの、自分勝手の自己満足に過ぎないかなとも思います。

 

 

それは、もうその人がご飯に感謝してるしてない、というよりも

”習慣”の違いだと思うから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”屠殺”への出逢い

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、ではなぜ今日こんな話を改めてしているかというのには、ちゃんと理由があります。それは、”屠殺(とさつ)”への出逢いです。

 

 

 

 

 

屠殺(とさつ)ないし屠畜(とちく)とは、家畜等の動物を殺すことである。

一般的には食肉や皮革等を得るためだが、口蹄疫などの伝染病に感染した家畜を殺処分する場合にもこの語が使用される。ーWikipediaーより

 

 

ある方にたまたま最近お会いし、この言葉をそこで初めて知りました。

 

僕がその方と強く共感したのが、『”食べる”ことが大好きなこと』と、

『”食べ残し”が嫌いな事』でした。

 

普段日常的にご飯を食べていてもそうですし、居酒屋や結婚式場で働いてみても

感じたのですが、それは「食べる」行為への各々の配慮が余りにも欠けているということ。だからあり得ないくらいの食べ残しや食料廃棄が出るし、

「食べ残す」ことについても何の躊躇も無い人が増えていく。

 

 

じゃあなぜ、みんなご飯をもっと大事にしないのか、を考えていった時に

出てくる一つの考え方としてあったのが

「みんな食べ物の”命”を感じる瞬間が余りにも少なくなってきている。」

ということ。

例えば、それは美味しい野菜やお米を育てる為の手間ひまや苦労であったり、

普段口にするお肉やお魚、といった命の、”生き物”が”お肉”へと変わるプロセスを知る場面のカットだったりすると思います。

 

例えば、普段スーパーに牛肉を買いにいってお肉を買うときはいつも便利にカットされて包装されたものであります。都会では特にだと思うのですが、お魚を買うときでさえ

一尾ずつではなく今は切り身にあらかじめされ小分けに包装され売られていることが多いと思います。そうやって、消費者の為にどんどん便利化・効率化されていくなかで

自然ともともとあった生き物の”命”が断たれ、”お肉”へと変わるそのプロセス(過程)

を感じる場面が失われていってると思うのです。そのプロセスをみんな知らないから、

食べ物(命)への感謝が薄いのではないか、と。

 

 

 

 

 

僕がこういった考えをその人から聞くまで、僕自身も気づかなかったこの

命が断たれて革やお肉へと変わる瞬間。そしてこの考え方は僕の

「なんでみんな『いただきます』、『ごちそうさま』を言わないのか」

という疑問を解決する兆しにも感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうやって知った、新たな世界、”屠殺”が、僕の中で今マイブームです。

猟師のお仕事であったり牛、豚、鶏の屠殺じょうであったりを調べたり本を読み進め

前よりもっとよく知っていくのが楽しいのであります。

 

 

 

 

近いうちその方に鶏、もしくは鴨の締め方を教わりたいと今考えていたり

牛の解体場を見学をしに行きたいと思っております。ジビエ料理なども

食べにいきたいな、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「食べるのが大好き」

と思っている方にこの記事を読んでもらえて、もしこの今まで気づかなかった視点で

「食べる」行為を見てもらえるきっかけになったらいいなと思います。

 

そして僕自身がこの記事を書く事によってまた違った視点で

「食べる」ことに向き合えたり、そうである人とつながるきっかけになればいいな

と思います。

 

 

 

 

余りにもまとまりの無い(相変わらずの)文章とはなりましたが、

今日もここまで僕の記事を読んでくださった方々にただひたすらに感謝の思い出あります。そしてこの「食べる」ことへの思いはこれから先、僕の(人類の)

永遠のテーマでもあると思いますのでまた記事などにしてもっと深く掘り下げていきたいと思います。

 

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今僕が興奮しながら読んでいる本。

すごい面白いので、みんなにも貸して読んでもらいたい。

 

 

 

あぁ!酔っぱらいながら記事を書いていたらもうこんな時間!明日の(数時間後)の教習に向けて今から寝ようと思います!誤字脱字すみません。みなさんのフィーリングで読み取って頂けると幸いです。それでは、また来週〜

「文化」と「無駄」のお話

 

 

 

みなさんこんにちは。SORAです。

ヒッチハイクで石川、京都へ行き

大阪から東京へもヒッチハイクで帰ってきました。

 

今回で3回目となるヒッチハイクでした。とても楽しい時間を過ごしましたので、今日はその事について記事を書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

ヒッチハイクで生まれた出会い、石川へ

 

先日、ヒッチハイクで熊本に向かっている際に乗っけてくださった方で、石川に住んでいる方と仲良くなりました。

 

今回京都と大阪に用事がありヒッチハイクで向かっていましたので

途中下車し(通り道では、ない。)

石川に行って来ました。

 

 

石川に着きまず向かったのはある料理店。

 

魚菜工房 「壱」

 

小松市にある、おばんざいと美味しいお魚料理の店。店は小さなカウンター席が数席とテーブル席のみで、こじんまりとしています。(個室もあるそう。)

 

店には緩やかで静かな音楽が流れ

とっても落ち着く居心地の良い雰囲気。

カウンター越しに魚を捌きながらお客さんと喋るマスターの姿には惚れ惚れさえしました。

 

使っている食材は"地産地消"の考えをベースに、石川県産の野菜やお魚が中心。

豊富なメニューからは、どれを選んでも大当たり。本当に、久しぶりにこんなに美味しい食事を愉しみました。

 

 

 

お店のマスターの知巳さんとは、

前回僕を石川まで連れてってくれた松林さんという方の紹介で知り合いました。

 

「石川は日本一って言っていいくらい食べ物が美味しいところで、そこでめちゃくちゃいい店やってるやつがいるから、お前をそこに連れてってやる!」

 

その時、松林さんのこの一言が無ければ

僕が石川に行く事も無かったし

「壱」という素晴らしいお店と知巳さんにお会いすることもありませんでした。

 

そして、その松林さんとも、そもそもヒッチハイクをしていなければ会うことがありませんでした。

 

石川は、とても素晴らしいところです。

山も海もあり、適度に田舎でありながら京都を思わせる町屋が並んだ通りなどもあります。

美味しいご飯はもちろんのこと、京都に引きを取らない多種の郷土菓子があります。

 

こうした石川の良さを知れたのも、お仕事を休み僕を金沢へ半日観光へ連れて行ってくれた松林さんのお陰です。

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 そうだ、京都へ行こう。あと大阪も。

 

 

 

京都に行き、僕を今回泊めてくれたのはオーストラリアから日本に語学・文化を学びに来ている留学生のせーら。

前回僕が京都に来た時、一人で伏見稲荷大社を歩いていたのですが

あんなにもロマンチックで綺麗なところを一人で歩いていることがどうも哀しくて、

シャイながらにも、誰かに声をかけることにしました。

幸いにも声をかけた同い年くらいの学生さんらとすぐに打ち解け、晩御飯も一緒に楽しく頂きました。

その時の学生さんらの一人がせーらで、何となく京都を離れた後も連絡を時々取り合っていたので今回頼んでみたら泊めてくれました!

 

 

 

 

 

せーらは、高校生の頃に千葉に留学したことがあって、それがきっかけで日本の文化や言葉に興味を持ってくれ

日本に今留学して来ています。

外国から来た人から見た日本、日本人、などがどう見えてるのかを聞くのは本当に面白くて、

芸妓と舞妓の違いを英語で事細かく説明してくれた時は、思わず笑ってしまいました(笑)

 

 

 

海外にいた時も日本にいる時も、自分がいかに自分の国の魅力に気付けていないかを教えてくれるのは、案外日本人では無かったりします。

 

 

そしてもう一人、京都では高校の頃のクラスメイトのかおりに会いました!

 

どこにいるのかな〜と思っていたらいつの間にか京都に住んでいたかおり。

 

高校を卒業し大学に進学するも、

自分の将来やりたい事を突き詰めて考えていった時に、その大学でやれる事と自分のやりたい事にギャップを感じ

大学を中退し、改めて他大学へと入学する為勉強をし、今年の4月見事希望の大学へ入学したそうです。

 

 

大学に入る、という事は大きな決断ですが、それを辞めるというのはもっと大きな決断だと僕は思います。

 

これは、僕が留学・旅をしていた時に思ったことでもあります。その決断の難しさにあるのは、終わりは何かの始まりを告げるから。それを誰にも言わず一人で決断し成し遂げ今、自分の道にまた走っている姿はカッコいい!って思いました。

 

 

来年からは自分も関西に住む予定なので、ぜひまた仲良くしてもらいたい🙃です!

 

 

 

 

 

大阪では、インドでお世話になった日本人宿 サンタナ 大阪支店に泊まりに行ってきました!

 

バラナシのスタッフだったあずぅさんにも会え、今回大阪サンタナで仲良くなった方々と大阪という街を飲み歩く事もできて大満足でした。

 

 

急に話しかけられ、商品を買わされそうになったり、値段交渉が始まったり

人がごみごみしてたり自動販売機でお酒売ってるあたりとか、友達だったかのように急に隣のテーブルから話しかけてくるおばちゃんたち。

僕のイメージする"日本の古き良き下町"と、どこか懐かしく感じる"インド感"が素敵です。

 

インドで会ったチャーリーさんとアヤエさんにもまた再会できたし、高校の他の友達のほなっちゃんにも会えて楽しい京都・大阪滞在でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてそして、今回は帰り道でも素敵な出会いがありました。

 

 

 

 

「文化」と「無駄」のお話

 

 

 

いつものように(いつもではない)、Googleで"東京"とルート検索をし、現地点から一番近い高速の乗り口に行くも

今日はなかなかヒッチハイクが上手くいかなさそうな感じが雰囲気として感じました。

40人近く(15〜20分くらいの間に)の方に断られそろそろメンタルがやられそうになってきた時に(ガラスのハート)

まるでヒッチハイクしてる子を見るのが当たり前かのような顔でドアを開けてくれ

「どこ行くのー?東京?じゃぁ一緒に行こうか!」

と話してくれたウオさんに出会いました。(ヒッチハイカーを見るのは僕が初めてだったそうです)

 

一回目で乗っけてくれた人が最後まで乗っけてくれることは初めだったので興奮したのと、ウオさんがほんとに気さくで話しやすいし話も聞きやすい人だったので

7時間くらい乗ってる車のなかでも終始楽しく過ごす事が出来ました。

 

 

 

 

 

 

そんな話の中、終わりの方にウオさんが言ってくれた言葉が、2つ、僕の心にささりました。(序盤は下ネタしか話してなかったです。)

 

 

 

 

 

まず1つ目。

 

「それ、文化にしてけばいいじゃん。」

という一言。

 

 

 

 

 

 

これだけ言っても何の話だってなるんでサラッと説明しますと

 

今、僕にはやりたいことがたくさんあります。

遠くない将来の目標としてあるのは、レシピ本を出すこと。

何でかっていうと、ざっくりいうと「食べるのが好き」だから。

 

 

 

「食べるのが好き」が自分の原点だと気付いた時に、自分のやりたい事は一気に増えました。

屠殺を通して命のありがたみを頭ではなく肌で感じ、食べるのをもっと楽しくしていく。

食べることによる幸せの代わりに健康が不足するのは嫌だから、栄養も勉強してみたい。多方面の栄養学を。

そしてそもそも食べるのが好き=食べないは嫌い=食料廃棄嫌い

の考えにも至りました。

その時に知ったのが、食料廃棄の出どころで本当に多いのは一般家庭であること。(数年前、フランスのデータ)

 

それを知った時に、レストランや企業で出る食料廃棄を無くしていこうって運動より、

大元の"一人一人の食に対する重み・意識の違い"を上げていく方が根本的解決になるのかなと思ったのです。

 

しかしその思いに至った時に、本を出すことという自分の目標は変わらないながらにも

自分の今思いついてしまったアイディアはもっと大きな動き(運動)になっていくのかなと思いました。

そうなると、じゃぁいったいそういった動きはどうすれば起こすことが出来るのかのアイディアが全くなかったのです。

 

 

そこで、ウオさんのひとこと。

「それ、文化にしていけばいいじゃん」

 

 

例えば、日本人がポイ捨てをしないこと。米粒1つ残すのもいけないと思う思想(今はそう思わない人も多いかもしれない。)

 

このモッタイナイ精神もそうだけど、これらってそれが一種の"文化"として根付いてるから

みんな守るし、間違えたら"恥ずかしい"と思われる。

 

 

だから、今僕が考えているその動きって、

人々の考え方を変えていくっていうんじゃなくて、それを「文化にしていく」ことが一番しっくりくるんじゃないかな、と。

 

 

 

 

 

 

 

そして2つ目。

 

 

 「無駄」が経済成長をさせる。という一言。

 

 

 

 例えば、その食料廃棄が出るってことも

ある意味誰かの役に立っているということ。

食料廃棄が出る=需要を超過した分生産していること、又は本当に必要な場所へ供給が行き届いていないということ。

 

そこで、余るくらいならもったいないと企業側が農家さんへ頼む野菜の発注量が半分になるとします。

 

すると、作る量が減ります。その分農家さんへの負担は減りますが収入は減ります。

そこで失業していく人たちは必ず生まれてくるし

農家さんが落とすお金も減っていきます。

そうして皆が無駄なことにお金を落とすことが減っていけば(節約していけば、でもある程度意味は同じだと思う)

経済はもちろん落ち込んでいく。デフレと同じ原理です。

 

 

 

もしかしたら、この例は極端なことかもしれないけど

でも僕がある意味でこの話を凄く納得出来たのは

僕がついこないだまで旅に出てて、裕福な国、そして不自由ない環境である日本に帰った時に

身の回りにあるものほとんどが「ゴミ」に見えたこと。

そして、それもすぐ日本の生活に慣れていくなかで段々とその「ゴミ」を欲しくなっていく自分がいたことが根底にあると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

十人十色ってこういう事なんだな、と。万人受けを狙ったら出来る事は限りなくゼロに近いけど、色んな人、色んな考え方があるのを知った上で自分の好きなことをやっていくのでは

結果が大きく違ってくることがあるということを思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

またやりたい事が増えてしまいました。

少しずつ、それが何かを記事に書いていきます。

 

 

 

 

 

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石川では知る人ぞ知る"きんつば"という和菓子の名店、中田屋さんへ。

しかし調べてみるとどうやら、石川が発祥の銘菓ではないらしい。

 

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 松さん、お世話になりました。

これから長い付き合いをしていきたいです!

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せーらのお友達で、マクラメを作る人に街でばったり遭遇。今日から僕も新潟で、マクラメ作ります。

 

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誰かの家の中みたいな雰囲気の焼肉屋さん

煙が立ちこもる店内に換気扇はあってないようなもの。ゴーグルの貸し出しを無料でしてる。

 

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2年前からLED電子版へと変わった「グリコ」

時代と共に変化していくものだろうが、僕としてはどこかあのレトロな感じが良かったのであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

来年は、ここ大阪に住んでいるかも。

 

 

ではまた来週〜!

 

「旅」とは

 

 

 

みなさんこんにちは!SORAです。

毎週金曜日の更新と公言したにも関わらず

既に現在時計の針は土曜日の午前1時を廻っています。

しかし、僕にとってはまだ”金曜日の深夜”なので今日もブログを更新します。

 

前回は、「留学」について書きましたので今回は「旅」について書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 【楽しい人生は旅から始まる】

 

 

ではまず、僕が旅に出たきっかけを書きたいと思います。

 

 

 

僕が旅に出る事を決めたのは、アイルランドに留学してまだ2ヶ月弱しか経ってなかった時でした。当時僕は、色々な事に悩んでいました。

 

 

ひとつは、自分の目指す英語力の向上のレベルについて。

周りの人達は、「◯◯試験に受かるため」、「就職する為に必要だから」、「大学に行く為に」など、明確な基準のある目標を持って勉強している人達がたくさんいました。

それに比べ、僕の目標は敢えて言うなら、「友達をたくさん作りたい。」

「もっとちゃんと喋られるようになりたい。」など、曖昧なものでした。

 

生活する分には支障はないし、その時は既に自分の伝えたい事を相手に伝える事が

出来るくらいには英語にも慣れていたし。

加えて、学校に行くなかで僕は「ここにもう半年いても僕の英語力に

”大幅な成長”はないと感じていました。

 

二つ目に考えていた事は、「お金」です。

今回留学の費用から旅の費用まで全て出してくれたのは父親でした。

僕が高校生の頃、”大学に通わせてあげられる分のお金は用意しといてある”と

話されました。僕は当初は「パティシエになる為に製菓の専門学校に行く。」

と考えていましたが結局専門学校に進まないと決めてから僕は「留学」

を決めました。しかし、「留学」にかかる費用とは莫大なもの。

4年制の大学に通えるくらいのお金を、たった1年でほぼ使うのです。

留学を決める前からそんなことはわかっていたのですが、実際に生活が始まると

毎日毎日その日自分が使ったお金を精算し、財布とにらめっこしていました。

こんなに使っていいのか。本当にこのお金は必要か。どうやったらひと月に

使うお金をもっと減らせるようになるのか、とか。

初めて使う大きなお金に、ビビっていました。

こんなにお金をつぎ込んで、得る物が大した物じゃなかったらどうしよう。

アイルランドでの半年の生活が終わった後、イギリスに行き留学するには

お金がかかりすぎるし、アイルランドに残って仕事を探しても

もし見つからなかったらただただ”消費”の生活が続くだけだ、とか。

 

 

 

 

 

僕は、悩んでいる事を全て父親に打ち明けました。

お金の使い方がわからないこと。アイルランドでの半年の語学学校生活が

終わった後自分は何をするか。迷ってる選択肢をそのまま伝えました。

 

 

 

 

 

数日後、父親から返信がありました。

 

 

 

 

 

 

メールの一部を引用します。

 

 

 

「生活はあるものである、するものではない。

10万円しかなければ、10万円の生活があり

100万円あれば、100万円の生活がある。

どちらが正しいかは分からない。

 

 

 

迷った時には原点に立ち戻れ、自分は何をしたいか、何を望んでここに来たのか。

 

 

それをする条件は何か。お金か。お金ならある。

いくらまでなら使っていいと言ってある。

金は使う為にある。貯めるためでも、残すためでもない。

 

 

 

今いちばん貴重なのは時間だ。

こんなに長期間海外に行くことはもうないかも知れない。

それもほぼ白紙の状態で。それを活かさないでどうする。

金をケチるな。ケチると金に支配されるぞ。

腹をくくれ。腹をくくって使って来い。無駄金には絶対ならない。

それでも足りなかったら、空くんの貯金もある。

お母さんやおじいちゃんの残してくれた分もある。いつでも送ってあげる。

 

 

 

 

 

楽しい人生は旅から始まる。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕はこの父からのメッセージを読んだ時に決めました。

 

 

『旅に出る。』

 

 

 

 

 

それが僕がその時に出来た、一番の時間の有効活用であり、

自分が一番したかった事でもありました。

 

 

 

 

 

こうして僕は、「旅」に行く事を決めたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【「旅」のはじまり】

 

 

 

 

旅を始めるときは、わくわくした気持ちと、不安な気持ちで

頭の中がいっぱいでした。最初に行った国はスコットランド

 

 

アイルランドと同じ英語圏なのに何を言ってるか全く聞き取れない事が

多々あり、”英語”という言語の面白さを感じました。

 

そこからイギリスへと南下し、フランス、スペイン(バルセロナ)を

一人で歩きました。フランスではお菓子やパンを食べ歩き、

カウチサーフィンというものを試し、現地に住む人の家に無料で泊まらせてもらい

面白い文化の違いや考え方に触れました。

最初は新しい気付きや発見の連続で興奮しましたが、

次第に”物足りなさ”を感じていきました。

 

 

 

スペインの後、語学学校で仲良くなった日本人の女の子と韓国人の男の子と

3人でアフリカに行きました。南アフリカナミビアレソトナミビアボツワナ

「旅」の楽しさが再び、”加速”していくのを感じました。

きっとそれは、見た事もない壮大な自然や動物たち、

日本やヨーロッパとは大きく異なる文化、生活の仕方などに刺激を受けたから、

というのもあると思うのですが、それ以上に

「誰かと幸せを共有する時間があったから。」

だと僕は思います。

 

 

 

 

たった2週間半程のアフリカ旅を終えその二人と解散した後は、モロッコに行きました。初めて行くイスラム教の国の人の生活、食文化、宗教的、非宗教的な考え方の

日本との違いに興味が大いに湧き、それらをカウチサーフィンを通して知り合った

現地の人たちと触れ合う事でよく知る事が出来ました。

モロッコは久しぶりに多くの日本人旅行者とも出逢い、今でも日本で時々会う程の

仲になった人達の多くはモロッコで会いました。

気がついたら一ヶ月が経っていました。

 

 

その後はヨーロッパに戻り、アイルランド、アメリカの留学の時に仲良くなった

友達に会いに行きながらヨーロッパを旅しまた。

その友達が普段どんな生活をしているのかを見るのも楽しかったですし、

やはりその人の家に招かれて、その人の友達や家族に会うなかで

街を”観光”しているだけでは経験出来ないようなこともたくさん出来ました。

何より、「もう会えないかもしれない」と思っていた友達に会えたのは

本当に嬉しかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後2月に入ると、僕はネパールに行きました。

理由は二つ。一つは、昨年の4月にネパールで大地震があったこと。

それがずっと気がかりで、当時何も行動に起こす事が出来なかった

僕には絶好のチャンンスでした。ネパールに行くなら今しかないと思いました。

二つ目は、父親の思い出の地であった事。

父は山登りが大好きで、ネパールも若い頃ヒラヤマの山に登りに行ったことがあるらしく、トレッキング(山歩き)もしたと知っていました。

父親の通った道を歩いてみたい。

その思いが、一番強かったです。

実際に2週間のトレッキングに行き、それも父親と同じ山をほぼ同じルートで。

父親だけじゃなく、世界中の多くの人がネパールに魅了される理由が分かりました。

 

 

 

 

最後の国はインド。

50日間の滞在では余りにも足りなかった。そう思った国でした。

インドは、行ったら”大好き”か”大嫌い”になるのどちらかしかないと耳にしていました。

僕は前者でした。ウザい、汚い、暑い。これだけ聞くと最悪な国に聞こえますが

実はその中にたくさんの”優しさ”や”面白さ”が溢れていて、

不自由なことばっかの国だけど、それら全てが「旅」の楽しさを倍増させてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰国を決めた夜、僕は今までの1年を振り返りました。

留学を決めてみて、実際に行き、

思い描いていた事とは全く違う流れの連続で、

時に疲れる事もあったけど

それら全部が「あってよかった」と思える経験であって良かった。

 

「旅」に行くを決めて、その時も実際に旅に出たときは

思い描いていたことと違う事ばかりでした。

 

 

 

「旅」って響きが何となくかっこ良く感じていたけど

実際に出てみてほとんんどの時間で考える事は、”孤独”。

ひとりで旅に出ると言うことは、何か素敵な景色を見たときや

美味しいものを食べた時にそれらを感じている時間を共有する時間がないということ。

 

 

『Happiness is only real when shared. -幸せとは、それを誰かと分かち合えたときのみ

それが現実となる。』

 

 

 

「Into the wild」という映画に出てくるお気に入りのセリフで、僕が今回

一人旅をするにあたっての、考え続けたテーマでもありました。

 

 

 

一人の時間はさみしい事が多かったけど、

そのおかげで自分の”考える時間”が膨大に増えました。

自分が何をしたいか

何が好きか

この先の将来は、今流れ行くこの時間は

いったい何をするべきなのか。

 

 

答えの無い自問自答をずっとしていたのです。そのおかげで見えたものもありました。

 

 

 

 

 

そして、一番大きかった事は、色々な人に出逢う事が多かったと。

一人でいたら、自分から声をかけたりコミュニケーションを取りに行くしか

本当に”独り”になってしまうのです。だから、自然と積極的に人と関わろう

という気持ちになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【「旅」とは】

 

 

旅を終えて、一つ僕の中で結論づいたことがあります。それは、

 

 

「旅」とは、誰かと「出逢う」ことである。 

 

 

ということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ観光をしても、”あんな綺麗な景色を見た”とか、”こんなに美味しいものを食べた”

くらいの思い出しかありません。それより、

こんな人に出逢い、こんな事を喋った。こんな面白い事をした。知った。教えた。

僕の今回の一人旅をしていた時にずっと考え続けていたテーマでもあるように

人が「幸せ」って感じる時にはいつも、そこに「人」がいるような気がします。

だからこそ、「旅」って、その行き先での「出逢い」だと思うし、

『人生そのものが旅。」ってのはその通りだと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この一年間、ずっと走り続けてきた。

帰ってきた今も、走り続けています。

 

やってみなきゃわからない。

 

この言葉を、本当に肌で強く感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

これからも、今のキラキラした自分の衝動を抑えることなく

走り続けたいと思います。

 

 

 

 

 

それと、一年間を終え、一番感謝したいのは親の存在です。

今まで、自分のやりたい事を何でもやらせてもらってきました。

中学の進路も、高校の進路も、留学に行きたいと言ったときも、旅に出たいと言ったときも、一度も反対される事はありませんでした。

 

 

僕の家は、早くにお母さんが他界し小さい僕と二つ上の姉を

男手一つで育ててくれました。仕事をし、家事もして、学校にも行かせてくれたし

美味しいご飯を食べさせてくれました。

 

”尊敬できる人は?”と聞かれたら真っ先に父親の顔が浮かびます。

そんな風に思える父親を持てた事を本当に嬉しく思いますし、

そんな父親と結婚し、僕と姉を生んでくれ、亡くなった今も見えない形で

姿を残す母親にも感謝の一言では表せない気持ちでいっぱいです。

 

 

 

 

そして、実は自分が今回旅に出たもう一つの理由があります。

 

僕が悩みを打ち明け、それに対し返ってきた父親からのメールの最後に

 

楽しい人生は始まる。

 

という一文がありました。

 

そしてその後にさり気なく添えられた父の言葉

 

「お父さんもお母さんともっと旅をしたかったな。」

 

この言葉が僕を大きく動かしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんでこの言葉が、と聞かれると上手く答えられません、今は。

悲しくて切なくもあったのですが、同時に優しい気持ちにもなったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は、こんな終わり方をします。

何を伝えたかったのか、よくわからないかもしれない文章になってしまいましたが

僕の中では、書ききりました。

 

 

次から、何を書けばいいのか少し分からないくらいです(笑)

普通の日記みたいになるかもしれないですが、

そもそも僕が書きたいと思う事ってそういった”日常”の連続のなかで

感じるものなので、それもアリかなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生初の砂漠に大興奮で片付ける駆け抜ける少年(僕)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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おしまい

 

 

 

 

留学に行ってみて良かった事

 

 

 

こんにちは!SORAです。

 

 

さて、今日も金曜日なのでブログを更新しようと思います!

 

 

 

 

日本に帰ってからよく聞かれる事は、

「どうだった、世界は?」

です。

 

 

みんな、聞いてくる事のスケールがデカ過ぎます。(笑)

 

 

 

僕がまるで何年間も世界を放浪して、何かビッグなオトコになったかのような

期待をかけられるのですがそんな事は一切ありません(笑)

人間、そんなすぐに変わらないと僕は思いますし

だいたい、海外に行った人がみんなスゴい変化を遂げてかえって来られるのなら

みんな留学やら旅に出ます。

 

 

 

でも、もちろんじゃあ何も変わってないの?

と聞かれるとそうではないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

なので、今回は【留学に行ってみて良かった事】について書こうと思っています!

 

 

それでは、はじまりはじまり〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

英会話力の向上

 

 

 

 

 

これは、間違いないと思います。

何か言語を一つ学ぶ時、その言語に頭を浸けさせる事は

とても大事な事だと思っています。

朝起きてから夜眠るまで

街を歩いてて聞こえてくる会話

お店に入り店員と話す時

レストランで食べ物を注文する時

友達と会話する時

 

全ての場面において、英語を喋る機会があります。

 

 

 

 

 

 

日本人が英語を喋られない大きな原因の一つとして

せっかく習ってもそれを実践する場面がなかなかにない事だと思います。

もしあったとしても、なかなか人前で自分の拙い英語を喋ってみる事には

誰だってやはり最初は抵抗があるものだと思います。

 

加えて日本では特に、人前で英語を喋る事を恥ずかしいと思わせるような

雰囲気を作っているようなところがあると思います。

 

例えば、英語の時間に誰かが教科書の音読を求められるとします。

その人が普通に”良い発音”が出来るように頑張っているだけなのに

「かっこいい〜!」

「本場っぽい」

「Rの発音がすごい」

と必要以上に囃し立てる人達がいます。そのせいで人前で

努力しようとしている人が、まるで恥ずかしい事をしているかのように

感じさせられます。それが嫌だから、わざとカタカナ英語の発音で言ってみたり

挑戦する前に、「わかりません」といってしまう。

しかし、留学し毎日英語に漬かる事で嫌でも英語を喋らないといけない

場面がたくさんあるので、自然と英語を喋る事に抵抗が無くなっていくのです。

 

 

しかしそれが、実際一度日本を出てしまえば

どんなに恥ずかしくて最初は抵抗があっても

生活する上である程度の英語は喋らないと行けなくなります。

僕も最初は恥ずかしかったですが

今は「とりあえず喋ってみる事」に抵抗を全く感じなくなりました。

 

 

 

 

ちなみに、僕の今の英会話のレベルとしては

英語を第二言語とする人達は大体の場面で会話に困る事は無いですが、

英語を母国語とする人達とでは、語彙の広さや喋る速さ、滑らかさなどでは

ついていけないことが多々あります。

なので、日常生活やコミュニケーションで困る事は無いけど

ペラペラではないです。

 

 

半年間留学して、僕より喋られるようになる人はたくさんいると思います。

むしろ、効率のいい人だったら留学なんかしなくても日本で独学で学び

僕くらいは喋られる人はたくさんいると思います。

 

 

結局のところ、どこまで喋られるようになるかはその人の意識次第だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海外に”生活”すると言う事

 

 

 

これは留学を終えた後、旅に出た時に感じた事です。

 

 

単なる海外旅行だと、一つの地に短期間しかいないと思います。

有名な観光地を巡ったり、おいしい料理を食べたり。

あーよかった!と気持ちのいい記憶が残る事が多いと思います。

しかしそれでは、その国の表面上の良さしか見られない事が多いと思います。

 

 

 

”生活”する事で、例えば毎日同じ道を通ったり

お気に入りの場所ができたり。

じゃあまた来週ね!と言って別れられる友達が出来ます。

その土地で取れる食材で、その土地の気候、環境下で

料理をしてみたりも出来ると思います。

そういった日々の連続を通し、感じるものは

その土地の本当の良さです。

それは雰囲気だったり、文化や週間の違いだったり、

その国の人柄だったりもします。

 

 

例えば、僕がアイルランドに実際にいて思った事は

アイルランド人は、日本人に似ているということ。

とても親切で、困っている人がいれば必ず誰かが助けてくれると言う事。

地図を開いてきょろきょろしている人がいれば必ず誰かが声をかけてきてくれます。

バスに乗っていて、全く見知らぬ人とお喋りするなんてこともあります。

でも、どこかシャイなところもあります。

喋りかけてくる時も、少し躊躇してから話しかけてくれる人が多く感じました。

最初は控えめなんです。でもパブ(向こうで言う大衆居酒屋)で一度

お酒を飲めばみんなご機嫌になりフレンドリーになります。

 

それと、アイルランドのパブ文化は本当に強くて

これは他の国にはないものだと思いました。

ギネスビールを片手にし誰かと一緒にお喋りをし、

店の中ではケルト音楽など”アイルランド感”を感じさせる

音楽が流れています。急に誰かが音楽を演奏し始めたりするのも

珍しい事ではありません。

サッカーやラグビー観戦のときはみんなまずパブに行きお酒を飲み

それから会場に行き、試合が終わればまたパブへと行きます。

あのワイワイと騒がしく、音楽が常に流れ

みんなが楽しそうな空間は、本当にまた戻りたくなります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

掛け替えの無い、「出逢い」

 

 

 

 

 

 

これが一番僕が強く思うところです。

    

 

 

語学学校に入ってすぐ、仲良くなった友達がいました。

サルバトーレ、エド、ラファエラ、サラ、アレクシス、キャメン、さやか、ファビ

イタリア、フランス、スペイン、台湾。何となくみんなで食堂でご飯を一緒に

食べるようになりました。パブやクラブにも行きましたし、週末にプチ旅行もしました。本当にいつも一緒にいました。2週間、一ヶ月、6週間後と

少し少しその子らが自分の国に帰って行くのをいつも見送る側で

最初アイルランドに来てから二ヶ月後くらいにはほとんどみんな帰ってしまいました。

残されたのは、長期で来ている人達。日本、韓国、台湾とアジアが多かったです。

 

 

夏に、学校から一ヶ月のホリデーをもらいバックパックで旅行をしました。

日本人のさやかと、まずイタリアに行きました。

ミラノに着きサルボたちに再会出来たときは全力ダッシュで飛びつきました。

それからイタリア、フランス、スペイン、チェコを旅行しました。

この一ヶ月間は、本当に楽しかったです。

 

 

語学学校にいると、毎週誰か新しい生徒がやってきて

その度に「初めまして!」と挨拶をし、すぐ仲良くなります。

しかしそれは同時に「またいつかどこかで会えるといいね。」

と別れを告げないといけないということです。

お互い住む国が違うから、この先また会えるかわからない人達ばかりです。

そんな初めましてとさようならの繰り返しに疲れた事もありました。

 

 

けれど、もしこれから先会えないとしても

その時出会った事はやっぱり素晴らしいことで

お互いの楽しい時間を共有しています。

それは掛け替えの無い思い出(出逢い)として僕の宝物となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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半年間、出逢って仲良くなった人達に書き込んでもらったメッセージたち。

本当にたくさんの人と出会った。みんなありがと〜

最後のこってた人達はアジア人ばっかだったなあ(笑)

 

 

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最初に仲良くなった人達。みんな大好き

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正直、僕の今の英語のレベルが自分で満足かと言ったら、そうじゃない。

ある程度は喋られるようになったかもしれないが、やっぱりまだまだ

自分の英語力の低さに悔しくなる事もある。

けど、一年間を通して思った事は、

自分はネイティヴではないということ。

非ネイティヴとして、それを母国語とする人達と比べて喋られないなんてのは

当たり前の事で、どこのレベルまで喋られるようになりたいかなんてのは

その人次第。

 

自分が英語を喋られるようになりたかった理由は、

世界中に友達だ欲しかったから。

自分の言いたい事を伝えたくても伝えられない、その感情が悔しかったから。

けど今は、その最低限は達成した。

 

だから、もうこれから先英語で留学しに行く事は絶対にない。

でも、どこか英語圏の国や外国に行って何かを勉強したり

働いてみる事は多分あると思う。

 

 

 

そして、もしコレから先英語以外の言語を学んでいくことになった時

語学学校に半年間もいる事はないと思う。

それは、毎日のルーティンに飽き飽きする事がわかっているから。

”勉強”じゃ、僕は上達しないと思った。その言語を通して何か学んだり

生活していく上で身に付いていくものだと僕は思う。

 

 

 

 

まぁ、自分がこの先何をして行くかなんてわからないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今日はこんな感じで終わりです!

留学の話、もっと色々聞きたいって人いれば是非声をかけてください。

 

 

 

次回は、多分”旅”について書きます。

 

 

お楽しみに〜

 

 

 

僕がアイルランドに留学した理由。

 

 

 

みなさんこんにちは。SORAです。

 

先日まで4回に渡ってお送りした熊本の話ですが、現在はもう実家のある東京に帰り

一息ついたので、今日からは少しずつ僕が去年アイルランドに半年間留学していた頃の話と、その後の約半年間世界を旅した事を振り返る記事を書いていこうと思います。

 

そもそも、ブログを始めようと思ったきっかけは「この一年間、僕が経験した事を

改めてゆっくり自分なりに振り返っていきたい。人に発信していくことでまた新たな発見が欲しい。」という思いからでした。

ただの日記や、自己満足だけのような記事にはならないよう心がけします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、まず今日は冒頭のタイトルにもあるように、

【僕がアイルランドに留学した理由】 です。

はじまりはじまり〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初海外はオーストラリア、高校一年の夏

 

僕の通っていた高校では、オーストラリアへ海外研修に行く事が出来るプログラムがありました。当時まだ外国に行った事の無かった僕は、何となく「行ってみたい」と思っていて、ダメモトでそのプログラムに応募しました。英語による面接があったのですが、僕の代は希望者が少なく倍率も2倍をきっていたので選考を通り抜ける事が出来ました。そして僕は15歳にして初海外を経験する事になるのです。

 

 

 

 

 

 

英会話の壁

 

僕は中学の頃、英語が得意でした。高校に入ってからも常にクラスでは上位の成績を取っていました。なので始めて海外に行き実際に生の英語を聞いた時に、自分が英語をほとんどと言っていいほど喋られなかった事に驚きました。

 

 

 

僕はまず、相手の言っている事がほぼ全くと言っていい程わかりませんでした。

「Can you repeat again?(すみません、もう一度言ってください。)」

このフレーズを繰り返しました。2回、3回とゆっくり喋ってくれて、初めて何を言ってるのかが理解出来ました。

 

 

 

 

 

僕がお世話になったホストファミリーの方々はとても気さくで親切な方々だったので、僕がわかるようにゆっくり、簡単な英語で喋りかけてくれました。

なのでだんだんと僕もコミュニケーションを取り始める事が出来るようになっていきました。

 

 

しかし次のステップとして、喋られない と言うのがありました。

いつも紙の上ではかけていることが、いざ口に出そうとしても頭に浮かんでこないのです。相手の言っている事がわかっても、僕の言いたい事を相手に伝えられない。

後になって、「あぁ、さっきはこうやって言えば良かったのか。」と一人呟く事が続きました。

 

 

 

大した上達もすることなく、3週間はあっという間に過ぎていきました。

しかし、この3週間がその後の僕の人生を大きく変えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕の将来の夢は、パティシエだった

 

 

生まれてからずっと、食べるのが大好きなわんぱく少年として育っていきました。

それがきっかけで小学校の頃、友達のお母さんで料理研究家の方が料理教室を開いてくれて、僕は料理の世界に興味を持ち始めるようになりました。

 

中学校に入り、僕はお菓子を作り始めました。親にレシピ本を買ってもらい、それを読みながらよく作りました。『自分の作ったモノで、誰かに喜んでもらう。』この喜びを知ったのはその時でした。

 

高校に上がってもその熱は冷めず、いつしか僕はパティシエを目指すようになっていきました。そして、パティシエになるには製菓の専門学校に行く事。この事が当時の僕の頭の中では絶対条件だったのです。だって、”みんな”そうだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校3年の夏、LAでの短期留学

 

 

 

高校3年の夏、僕は親に頼んで一ヶ月間のアメリカへの留学をさせてもらいました。

自分で留学斡旋業者に問い合わせ、行きたいところも自分で決めました。

部活を引退し、進路を決めていく中で僕はまだ決めきられずにいました。

自分のやりたい事はお菓子なのか、英語なのか。

だから、とりあえずまた海外に行ってみたいと思ったのです。

 

 

 

 

 

僕は一ヶ月の留学の間に、6回泣きました。

悔しかったのです。日本語によるやり取りを無くしたくて、SNSも電話も拒み

毎日日記も英語に、独り言も英語に、辞書も英語にしました。

なのに英語によるコミュニケーションが上手く取れない自分が悔しかったのです。

また、語学学校に通う中出来た友達やホストファミリー、ホストスチューデントとの別れの寂しさもありました。日本にいる友達と違い、この先もしかしたら一生会う事が出来ないかもしれない出会いばかりでした。

しかし、こういった経験がその後の僕の 海外に行きたい。 という思いを強くしていきました。

そして結果として、スピーキングの面で言えばこの一ヶ月間のLA留学で僕の英語は飛躍的に伸びました。けれど、 もっと 英語によるコミュニケーションを取られるようになりたかったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

決断を遅らせる といった選択肢

 

 

LAから帰った後、僕はたくさん動きました。

自分のお菓子に対する思い、将来したいこと、そしてそれらを達成していく中で

『学校に行く』というのは絶対条件なのか。

僕の身の回りには当時、パティシエや元々そうだったけど今は違う道に進んだ人、

専門学校を卒業した人や、専門学校の先生をやっていた人などらがいました。

僕は夏休みという期間を利用してその人らに会いにいき、話をたくさん聞かせてもらいました。実際に自分が考えている道を一度通った人たちの意見はどれも心に響くところがあり、その中で僕は”学校には行かなくても良いかもしれない” といった選択肢を初めてもらいました。

 

 

 

そこで僕は考えました。

もし学校に行かないとしたら、僕は何をしたいだろう。

僕の親は、僕が高校生の頃から 僕が大学に通えるくらいのお金は残してある と僕に

言ってくれていました。最初は、そのお金はお菓子の専門学校に行く費用で使いたいと思っていました。しかし、もしそのお金の使い道が無くなったと考えた時に

僕は何が出来るか、何がしたいかを考えました。

そして僕は、”留学”を選んだのです。

学校に行くか、行かないか。どっちの道もありだとまだ悩んでいるなら

その決断は高校を卒業するからといって焦らなくていいと思ったのです。

そうして 送らせた決断のおかげで僕は、また一つ人生を大きく変えることになっていったのです。

 

 

 

 

 

 

 

僕がアイルランドを留学先に選んだ理由

 

 

 

 

この決断は、そう難しい物でもありませんでした。

 

当時僕は既にアメリカ、カナダ、オーストラリアへ行った事がありました。

行った事がない国の中で、英語圏。

それと、元々本やテレビで見るヨーロッパの街並みに憧れがあったので、

ヨーロッパの中で英語圏。

そう考えると、選択肢はイギリスかアイルランドしかありませんでした。

(今、色んな人に出会った後考えると、北欧やオランダなどでも充分僕が英語を上達させれる環境はあったが。)

 

 

最初は、イギリスを考えていました。

しかし、アイルランドも少しだけ興味はありました。

なので、どっちも行った事のある人達に会いにきました。

その人らと話していく中で、どちらの国もとても魅力的に思えました。

だから、どっちも行く事にしたのです。

アイルランド半年、イギリス半年間。そう予定を立てました。

なぜアイルランドを先に行く方に選んだかと言うと、

アイルランドの方が少し面白そうに思えたからです。

そもそもイギリスに語学留学する人は多いけど、アイルランドはどちらかと言えば

マイナーな国でわざわざ留学しに行こうと思う人は少ない。

そしてもう一つに、僕が アイルランドに行った事のある人達に話を聞く中で

共通して皆さんの思うアイルランドの魅力として”人が優しい”が挙ったのです。

僕にはこれがとてつもなくすごい事に思えました。

それを感じたときから僕はアイルランドといったまだ見ぬ世界に惹かれて行ったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして、僕はアイルランドに留学する事になりました。

結果として、イギリスには留学ではなく観光でしか行く事はありませんでした。

留学自体も一年間ではなく、半年しかせず残り半年は世界を放浪していました。

 

 

 

 

次の記事からでは、実際に留学をしてみての話を書こうかと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

それと、次からブログの更新は週に一度にしていこうと思います。

続ける事に意味がある、発信し続けることに意味があると思いました。

しかし、不定期だと僕の性格上さぼる事が多いと思ったので

毎週同じ曜日に更新すると決める事によってある程度の制約と余裕を自分に持たせようと思いました。

 

 

といことで、これから僕のブログは毎週金曜日に更新します!

 

 

次号の更新は6月10日(金)!

お楽しみに〜

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写真は僕がアイルランドに着いた翌日の夕焼け。この奇麗な夕焼けを見た事を、今でも鮮明に覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

熊本の山奥に篭って僕が感じたこと。

 
 
 
みなさんこんにちは!
SORAです。今日はいよいよ、僕が熊本に行ってきてした事と、それらを通して感じた事を書きたいと思います。
今回は少しいつもより記事が長めです。
それでは、はじまりはじまり〜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
僕は今回、熊本県では比較的地震による被害の少なかった水俣市に行ってきました。しかもその水俣市の中でも山奥の方に滞在し、その期間中はその山を出る事はありませんでした。(*監禁されていた訳ではなく、街から1時間以上車で走らないといけない距離にあり、車の運転が出来ない僕は必然的にそうなったわけであります。)
 
 
 
 
 
 
 
さて、じゃぁ僕が一体その山奥で何をして来たかというと、、、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
茶畑でお手伝いをしてきました!!!!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
えっ、待てお前。何でそうなった。
と思われた方もいらっしゃると思いますので少し説明させて頂きます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昨年12月、僕はモロッコにいました。
そこで、ある方に出会いました。
ヘアカットアーティスト、サトシさんです。

世界よ笑え!ヘアアーティストSATOSHIの軌跡

サトシさんは旅中、ずっとリアルタイムでブログを更新していました。(現在は旅を終え、帰国中。)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サトシさんは、10年間ほど日本で美容師として働いていました。そして、そろそろ自分のお店を持ちたいと思うようになっていった時に、その前に自分がしたい事が何かを考えた時に思い付いたのが
"世界一周"だったそうです。
ただ世界一周をしても面白くないから、髪を切りながら旅をする。
そう決め旅に出られたそうです。
 
 
 
 
 
 
 
サトシさんは僕が旅をしていた間に、お会いして本当に良かった、素晴らしい人生観を持っているなと感じた方のうちの一人です。
 
 
巡り合わせとは面白いもので、モロッコで別れを告げた後も思いがけずスペインで再会し、
 
 
僕が日本に帰国して間もなくサトシさんも日本に帰国し、東京→福岡間をヘアカットをしながら帰ると仰っていたので
ぜひ東京に来られるなら僕の家に寄って行ってください!とお願いをして、僕の家に泊まってもらったのです。
(僕の配慮不足で、充分なおもてなしをする事が出来なく申し訳なかったのですが。)
 
 
 
 
 
 
 
そして、サトシさんが僕の家に滞在している間にサトシさんがあるトークライブのイベントにスペシャルゲストとして登壇されました。
そのイベントに僕は予定が合わず参加しなかったのですが、
サトシさんに誘われ二次会に参加させてもらう事になりました!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その二次会では、さすが旅人の集まるイベント。世界を旅する理学療法士こと、カッキーさん(世界を旅する治療家 カキザワ カッキーさんもブログをやられています。)
や幼くしてジンバブエにて半年過ごし、価値観をめちゃくちゃに壊され初めての旅は14歳だった、そして今は旅する字書きの精さん という方など、たくさんの面白い方にお会いする事が出来ました。
 
そしてそこで、僕はある方に出会いました。
 
 
TWiiN RAYNという2人組ユニットのお一人、アマノさん。
まずアマノさんがソロで歌を歌ってくれて、その後二人でまた他の曲を歌ってくれました。
 
とても素敵な歌声で、歌っているその姿や作り出される空気感に感動しました。
 
 
 
お二人は日本を中心に歌を歌いながら旅をし、誰もいない自然の中で歌ったり老若男女の平和の音楽隊で川べりを行進したり、またその中で感じた想いを作品として漫画にされたりと、音楽活動だけに留まらず様々な活動をされています。
 
 
 
 
 
 
 
そんなお二人が歌を歌って下さった後に、少しアマノさんに僕の事を紹介する時間を頂きましたので、
僕がこれから熊本に行く事とその趣旨、まだ具体的に何を現地でするかは決めていない事を伝えました。するとアマノさんが
 
 
「ウチの実家が熊本にあって、紅茶を作っているでぜひ来て下さい!!お手伝いをしてくれれば宿泊する所と食事はこちらで用意しますので!!!」
 
 
と仰って下さいました!!
 
元々、食べ物を調理する側だけじゃなく生産者側の仕事にも興味があり
食べるのも好き。飲み物もモチロン。
そしてこんな魅力あふれるアマノさんのご実家となればきっとまた面白い出会いがあるはず
そう思い僕は二つ返事で
 
 
 
「ぜひ、お願いします!!!」
 
 
 
とお願いをしました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こういった経緯で今回僕は熊本の山奥にある紅茶畑で少しの間働かせていただく事になったのです。
 
 
一期一会って本当に大事で、
 
自分のやりたい事を周りに発信していけば、それが繋がっていく。
 
そう僕は信じていています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
前説が長くなりましたが、では今から今回の熊本滞在中の出来事を追って書いていきます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1日目
 
 
午後4時頃、ヒッチハイクを終え無事熊本に着く僕。
 
アマノさんから事前に教えてもらっていた連絡先に電話をすると、アマノさんのお母さんが出て下さいました。
 
 
数十分すると、アマノさんの8つ上のお兄さん、レイさん(レイさんも言うなれば、アマノさんですがw)が車で僕を迎えに来て下さいました。
顔が似てらっしゃったので会ってすぐわかりました。
 
 
今回の滞在中でも色々なお話を聞かせてくれたレイさん。さすがアマノさん家の次男。とても親切でユーモアのある面白い方でした。
2日目の朝実際に見させてもらって驚いたのですが、レイさん、実は奥様と一緒に全て0から家を自分で建てたそうです。(専門的な建築の知識があった訳ではないそうです!)
自分たちで資材を買ったりamazonで本を買い、それを読みながら全て独学でやられたそうです。電気や水道などの生活ラインも業者さんに頼まず自分で繋げたそうです。これが最近流行ってるDIY(Do It Yourself)ってやつですね!
自分たちのことは自分たちで全部やる、これがお父様の教えらしいです。
そしてそのお父様、シゲルさんはというと、野生のイノシシを仕留め屠殺しそれを食べることもあるらしいです。
 
 
他にも色々なクレイジーなエピソードを聞きながら、今回お世話になる天野製茶園のある山奥に到着し、初日は少し皆さんと挨拶した程度で仕事は特にせず休ませて頂きました。
 
 
 
 
 
僕が今回滞在したのは、普段*WWOOFerさんらが泊まられてる空き家。(*WWOOFとは、農業体験と交流の場を繋げるNGO団体です。基本的にお金を介さず、ホストされる側は労働力を提供する代わりに宿と食事を提供してもらいます。)(そしてホストされる側をWWOOFerと言います)
 
木造作りの一軒家で、居間もキッチンも空き部屋も二つあって僕一人には寂しくなるくらい広かったです。
普段は外国から来たWWOOFerさんらで賑やからしいのですが、その時はたまたま僕一人でした。やはり、震災の後、外国から来る方も減ったそう。
 
 
 
 
 
2日目
 
 
 
 
 
朝起き、まず驚いた事は
 
風の音と小鳥のさえずり。
 
これしか聞こえないことです。
生まれも育ちも東京で
雑踏の絶えない地で生まれ育った僕には
ただそれだけのことが大きな感動でした。
 
 
まず最初は、レイさんのご自宅に連れて行ってもらいました。ドアを開けた瞬間飛び出すアニマルパークみたいな光景に驚きを隠せませんでしたが
せっせとウサギの餌やりのために庭のそこらへんに生えてる草を刈りました。
僕が10分くらいしてもまだ終わってない作業をレイさんは10秒ちょっとでやられていました。(言われたことすらちゃんと出来ない僕)
 
 
 
そしてその後は茶摘みに行きました。
手で一つ一つ摘んでいくのかと思いきや、機械でぶわぁーーーっといきました。
 
 
 
そりゃそうですよね、こんなに広いですもんね。(この写真に写っているだけではないですw)
 
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もちろんその機械を運転することなんて僕には出来ないので荷台に乗せてもらいお手伝いするだけ。
 
 
 
トラックの荷台に目一杯摘んだ茶葉を積んで、紅茶の製造作業場へ。
 
 
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この少年が立っている所に、茶葉を移動させます。
 
 
摘んでから1〜2晩は摘んだ茶葉を干して柔らかくする作業。
 
 
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外でも今回は行いました。
こうやって表面を均一に、かつ自然発酵させないために茶葉を積み立てすぎないように注意します。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さて、その後は茶畑の雑草刈りをしていました。
実は、この雑草刈りが、一番辛かったです。
天野製茶園さんでは農薬・化学肥料などは一切使用せずお茶を作ってらっしゃるので
虫や雑草がそこら中に共生しています。
なのでそれらを手作業で取り除いといかないといけません。
刈っても刈っても終わらない作業。
今はまだ楽な方で、夏はこの3倍ほどに雑草の量が増え、さらに虫が大量発生し蜂などに刺されながらも作業をしないといけないらしいので
いかにそれが過酷な作業かを知りました。
 
 
 
 
 
 
 
元々は、天野製茶園さんの方でも農薬やら除草剤を使っていらしたそうです。しかし、2代目である天野さんのお父様(シゲルさん)の奥様が身体を壊してしまい作業を手伝うことが出来なくなってしまったそうです。
その時に、やっぱり農薬など化学的なモノを使い間接的に身体に取り入れてしまうことは、やはり生産者側としても起こしてはならないと思い
今ではもう30年以上無農薬のオーガニック紅茶を作り続けてらっしゃるそうです。
(ただし、無農薬、オーガニックは売りとせず味と品質の高さで勝負しているところがまたかっこいいです。)
 
 
 
 
 
 
始めた当初はやはりありとあらゆる所から生える雑草、それに伴い大量発生する虫たち、葉が病気にかかってしまうなど
大変苦労されたそうです。近隣の畑の人からも虫がこっちまで寄ってくるから止めてくれと反対されたそうです。
しかし続けていくうちに段々と慣れ
病気なども、葉の方に耐性が出来ていき
病気などにかかることも少なくなっていったそうです。
そしてお茶の味も、無農薬にしてから本来の美味しさを出せるようになっていったと言っていました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そういったなかで、雑草刈りは欠かせない大事な作業の一つ。
 
 
 
 
 
 
 
 
3日目
 
 
 
 
 
 
この日は、出来上がったお茶たちを納品する為に袋に詰めていく作業。
シールを切る、貼る、お茶を詰める。
 
 
 
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一般的な紅茶だけでなく緑茶、ほうじ茶、上紅茶や生姜紅茶など、その他にもいくつかの種類のお茶を作っていらっしゃり
これら全てのお茶の袋詰めをシールを作るところから全て自分たちでやっているそうなので、この作業もたくさんの労働力が必要とされます。
 
 
天野さんのお父さんお母さん、そして二人の兄夫婦、お手伝いさんとアルバイトで来られる方2,3人でこれら全ての作業をこなす事はもちろん、
しかも、紅茶の生産量が九州一、個人でやれている所でだと日本一というのだからその大変さは言わずもがなです。
 
 
 
 
 
 
 
4日目
 
 
 
製茶をしていく工場ラインでお手伝いに入らせて頂きました。素人の僕ですので、あまり専門的用語はわからないですが、
 
お茶っぱを、しならせる→荒く揉む→圧力をかけながら細かく揉む→発酵させる→何段階に分け乾燥をさせる→仕上げ(余計な茎や茶くずを払い、大きさ別に分ける)
 
 
こういった一連の流れを説明してくださいました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そもそも、紅茶って何?
僕はあまりにも無知で、まずそこから知る事になりました。
紅茶、緑茶、ウーロン茶、ほうじ茶、抹茶
実はこれら全て元は同じ茶葉からできています。(皆さん知ってらっしゃいますよね!)(僕は知らなかったです!)
 
 
 
摘み取った茶葉を工程の途中で完全発酵させたのが紅茶になり、
半発酵しかさせなければウーロン茶
発酵をそもそもさせなければ緑茶
それを焙煎に近いかたちで火をいれていくとほうじ茶になるそうです。
抹茶は緑茶に製法は似ているのですが
色々と手間暇がかかるそうです。
(ここの説明は複雑になりますのでググってくださいm(_ _)m)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この日は僕が入れるラインに所々入り手伝いをさせてもらったのですが
普段はシゲルさんお一人でやっているそうで、僕の父親と歳が一緒にもかかわらず元気な姿に感動しました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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こんなに、広い。
 
 
 
 
 
 
 
 
この日のお昼ご飯は、シゲルさんと、お手伝いさんと、天野さんと10歳離れている長男のヒロシさんの子供さんらと頂きました。
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「筍とか山だからそこらへんで取れるんだよねー。」
こんな一言も、こういった田舎だからこそ。
とても羨ましく感じました。
 
野菜もご近所さんから貰ったり
こういった地域のコミュニティが残っているのは本当にステキです。
 
 
 
 
「東京だと、時間が違うでしょ。」
って言われました。
人が多く、仕事に溢れ、休む暇もなくただ流れていく時間は
こういった山奥など田舎で流れる時間とは違う。
一息つく間があるんだよね。
 
この言葉は、東京から来た僕には痛いほどわかりました。
 
 
 
 
 
 
 
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おじいちゃんに花を摘んであげる孫。
こんな日常の一瞬が、とても和やかで僕は心が安らぎました。
 
 
 
 
 
 
 
 
5日目
 
 
 
 
 
 
 
この日は、地元のテレビ局の取材の方が来られました。1年に1〜2回あるそうです。
 
 
出張で走り回ってた長男のヒロシさんも取材のためこの日には戻って来、朝から忙しそうでした。
 
 
僕はと言えば、少し掃除をしてからは
お茶のシール貼りや袋詰めをしていました。
 
 
 
 
 
 
一瞬僕もカメラに映りましたが、カットされる可能性もあり恥ずかしいので
放送日にこっこりYoutubeで見ることにします。(笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6日目
 
 
 
 
作業最終日。
張り切って朝早く起きるも昨日は普段の作業にテレビの取材も加わり一段と忙しかったらしいので、今日は少しお休みしながらと言われました。
 
 
 
 
いつもは9時から作業開始なのですが、今日はまだいいよ〜と1時間ほど最初放置されました(笑)
 
なので、お茶を袋に詰めたり、雑草刈りをしていました。
 

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囲炉裏のある和室でお昼休憩。その後はシゲルさんに連れられ、緑茶を製造する工場を見させて頂きました。

 

そしてその後はまたお茶の袋詰めを手伝わせて頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして、僕の短い茶畑体験in熊本は幕を閉じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余りにも短すぎる今回の滞在、しかしとても内容の濃い物になったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元々、食に興味のあった僕が今回、生産者側のお仕事を手伝わさせてもらい

ますます、自分の食に対する興味の幅は広がりました。

忙しすぎる街の雑踏も喧噪も聞こえない、山や川に囲まれた環境のもとで、

自然という人間の力を遥かに超越したモノ

上手く付き合っていく事で成り立つこのお仕事。

どんな素晴らしい料理も、それは素材があってこそのモノ作り。

「いただきます。」

この言葉の大切さを再確認する一歩となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして今回、宿と食事を提供してもらう代わりに、労働力を提供するといった

関係作りに試みれたのも良かったと思っています。

そこに”お金”が仲介しないからこそ、限られた時間の中で僕はどれだけ多くの事を吸収出来るのかに専念する事が出来ました。

だからこそ、今回こういった経験をさせてもらった事はとても嬉しい事ですし、

僕の周りの人にももっと今回の体験を伝えていきたいです。

 

 

 

そこで、今回紹介したいのが前述もしたんですが、WWOOFWorld Wide Oppotunities Organic Farms)というNGO団体。登録制で、僕は今回はこれに登録せず直接アマノさんと知り合ったためお手伝いをさせてもらえる事になったのですが、

これに登録する事で、日本全国どこでもつながる事が出来

お金を介さず農業体験などが出来る仕組みです。

「知識」や「経験」に勝るものは僕は無いと思っていますし、

ぜひ少しでも農業や食べ物、環境問題や人と人との交流に興味のある人は

このWWOOF(ウーフ)を利用してみてもらいたいと思います。

WWOOF ジャパン - ホーム

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7日目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
朝、お母さんとレイさんに別れを告げ、(お父さんのシゲルさんは朝から仕事があり最後に挨拶する事が出来ず残念でした。)
 
ヒロシさんに熊本市内まで送ってもらいました。
 
 
 
 
 
 
 
 
送ってもらう中、ヒロシさんにもたくさんのお話を聞かさせてもらいました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここ水俣市は、今から約60年前に起きた公害病水俣病で知られ、
その公害が残した傷跡は今でもたくさん残っているという事。
流しては行けない化学汚染物質をある企業が湾に流した事により引き起こされた
水質汚染。動物の生態環境を壊し、食物連鎖によりその害は人間までにも及んだ。
弊害として、これらの事件によってさらに深刻だったのは、人と人との”繋がり”。
人が信頼関係を築いていくのに時間はかかるけど、壊れるのは一瞬で
その”繋がり”が一度切れてしまえば、それを修復するのは容易ではないという事。
水俣市のような、都会とは少し離れた田舎では、その人と人との繋がりが最も大事で
助け合い、思い合いなどそういった田舎の強さは時に弱さにも変わるということ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして、今回の地震についての話もしました。
 
 
地震が起きた時に大変だった事は、情報の統括。行き交う助けを求める声の中
どの声を最優先させるべきかを見極める人が不足して、みんなが大混乱になった事。
 
送られてくる物資も、それを仕分ける人や自治体で働く人同士のコミュニケーションが
人が不足しすぎて上手くとれないから、せっかくの食べ物も腐らせてしまったりした事。
 
相次ぐ余震のせいで、不安で夜も眠れず、帰られる家があっても空き地に自主避難したり車で夜を明かす生活未だに送る人たち。
 
 
 
水、電気、ガスなどの生活ラインも断たれ、家も崩壊しただどうすれば良いかわからなくなっている人がたくさんいるそうです。
 
 
 
 
 
地震が一ヶ月以上経った今でも、復旧作業はまだまだ進んでいない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そしてヒロシさんが懸念するのは、今回の地震がますます田舎の若者の過疎化・高齢者社会の流れを加速させていってしまうのではないかという事。
農業などを生業としていた人たちが、都市部に出て行く。畑も頑張りたいけど、今は
食べていかなきゃいけないから、その為にはお金を稼がなきゃいけないから。
その人たちの言っている事は決して間違いではないし理解も出来るけど、
ヒロシさんはこういう時こそ周りの、被害の少なかった熊本県民や周辺の県民の人が
力を貸し、一歩踏ん張る手助けをしていかなきゃ今の田舎に未来は無いと言います。
だから、九州以外から来られるボランティアの人達の力も本当に嬉しと言っていました。
 
 
ヒロシさんは今、こんな活動もしています。
 
例えば、僕みたいに今回熊本の田舎に出向いて、その土地の良さを知る。
人と人との交流だったり、自然の恵み、そして少しのお金で都市部では出来ない豊かな暮らしが出来る事。
けど、こういった事を知るも仕事や家族の関係でなかなか移住という選択を踏めない人達の為に、そういった人達とのコミュニティの輪をきらない為に
双方の地でイベントを開き、まず交流の場を作る、広げる。
そして”特別借住民票”と言ったものをそういった人達に発行してあげる。
この”特別借住民票”を発行してあげる事で、例えばその土地でのお祭りや行事ごと、イベントなどの情報の際、今まで回覧板などだけで回していた情報を
そういった人達にも届けてあげるようにする。
 
こういったプロジェクトなども現在進めていらっしゃるそうで、もし東京でイベントがある際には僕の方からも告知させて頂きますし、
今回僕の記事を読んで、天野さんのところで紅茶作りに携わってみたい!熊本にいってみたい!田舎に行ってみたい!という方が一人でも出でくれれば嬉しいです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今回は学ぶ事が多くて、これからの人生をもっと楽しく、豊かにさせていく上で
とても良い経験になったと確信しています。
 
 
もし何か質問や感想やがあればどんどんお受けいたします!
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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地震のせいで刈り取りまで手が回らず、せっかく育った麦も収穫出来ずじまい。
こんな光景がたくさん広がっていた。
「今年は本当にきれいにそだったのになぁ。」
そう悲しそうに呟くヒロシさんの言葉が忘れられない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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九州、特に熊本では鳥の刺身が食べられるなんてのは当たり前らしい。
スーパーで普通にこの値段で購入出来、味は絶品でした。差し入れてくれたレイさん、ありがとうございました!!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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「今回のお手伝いのお礼と、宣伝も兼ねてね!と頂いた大量のお茶。」
欲しい方、先着で差し上げます。
ちなみにこの天野さんの紅茶、あの有名な和菓子屋さん、とらや さんの”紅茶羊羹”にも使われています。各種お茶もネット通販で全国どこでも手に入ります。
 

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紅茶の製造工場の外見。ブランコは子供の為に手作りされている。

 

 

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TWiiN RAYNで活動する、天野 達さんと はぎのゆきえさんによって描かれた(と思われる。)

 

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事務と試飲会、Tea Rooms などを兼ねている。f:id:i-am-sora224born:20160527165952j:plain

 

熊本市内でたまたま入った、お洒落なレトロなコーヒー屋さん。
コーヒーも詳しくなりたい。

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くまもん。言わずと知れた熊本のゆるキャラ

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左から順にいきなり団子、オランダ揚げ、サラダちくわ。

いきなり団子の”いきなり”は、急な来客にもすぐに(いきなり:熊本弁でいきなり、と言う)出せるくらいぱっと作れるからとのこと。ちなみに熊本ではサツマイモの事を”唐芋”と呼ぶ事の方が多いそうです。

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雨上がりの紫陽花。梅雨に入り雨が増えていく事もあり、テントなどをこれから取りやめさせていくそう。帰る家も無いけど、テント暮らしでも危険との判断によるものらしいです。

 

 

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熊本城は入城禁止、塀や石堤が崩壊しているところがあり危険。

近くの市役所の14階から全体が見える。コレを見るのは、悲しい。

けど、これがまた観光客の集まる場になる事を祈って、少しだけ見てきました。

 

 

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路面電車の走る風景は、どこか和みます。

  

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「がんばるばい!熊本」

 

 

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デコポンジュースと二個目のいきなり団子。こちらは皮に塩気は無く、甘みも少なくあっさりとしていた。f:id:i-am-sora224born:20160527172246j:plain

いきなり団子を包む皮にもたくさん種類がある。紫芋とか、黒糖とか。  f:id:i-am-sora224born:20160527172223j:plainクリーム大福も熊本の名産品。なんやかんや結構熊本の名産を食べられて良かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の滞在でお世話になった皆様、本当にありがとうございました。

また、熊本に行きます。

 

 

 

 

 

最後まで読んでくれてありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.S. 記事の途中で紹介した精さんからの告知です!!!

 

6月12日(日)17:00〜

世界一周団体

「TABIPPO」さん主催の『旅大学』にて!

大好きな字書きの『たっくんコドナの落書き』と共に、トーク&ライブイベントさせて頂きます!よかったら遊びに来てください!!!!

詳細は下記URLにて↓

【6/12】『旅を語ろう!』旅大学交流会開催! | 旅大学

 

とのことです!!!精さんだけでなく、たくさんの面白い方が来られると思います。

人生、ひょんなことでがらっと変わってしまいます。変えられちゃいます!

この機会に、ぜひ会場まで足を運ばせ面白い方と友達になりましょう〜😁